「頭でっかち」と「考えなし」について考える。「頭でっかち」は、ほとんどの場合悪いことではない。
「頭でっかち」という言葉を、誰しも聴いたことがあるはずです。僕のブログを読んでくれるような考えることがお好きであろう方は、猪突猛進というよりは、考えて行動するタイプの方が多いかと思いますし、人生で一度は「頭でっかちにならないように」などと周りから言われたことがあるかもしれません。
僕は、自分でこれを言われがちな人間だと思っており、自分がそれになっていないかに常に注意しています。「論理的思考」という言葉に対して、いちいちこんな考えを書いている時点で、たぶん「頭でっかち」度が高いのだと思います。ただ、僕は、世間から言われる「頭でっかち」は、そんなに悪いものばかりではないと思っています。また、「悪い頭でっかち」と、「良い頭でっかち」があると思っています。
ゆえに僕が自分に問うているのは、「頭でっかちになっていないか?」ではなく、「頭でっかちが悪い方向へ働いていないか?」です。今回は、その違いと、違いを生み出す理由について考えてゆこうと思います。
「頭でっかち」は悪ではない?
まず、僕のスタンスを話しておくと、「頭でっかち」は悪いことではないと思っています。そもそも「頭でっかち」という言葉は、手が早い人、動き出しが早い人が、自分と比べて遅い人に対して言う場合に使われていると思われます。しかし、本当に遅いことが悪いのかと言うと、僕はそうでもないと思っています。
例えば、ある作業があるとします。それをAさんとBさんが行うとして、Aさんは今までのやり方で1時間かかるとします。一方Bさんは、まず30分、考えます。そしてその後、40分かけて考えた末に導き出した、新たな方法で作業をします。実際にかかった時間はAさんが1時間、Bさんが1時間10分で、BさんはAさんに比べて10分遅く終わったことになります。この結果を見てAさんは、Bさんを「頭でっかち」と思うのではないでしょうか。
しかし、Bさんが30分かけて考えた作業方法は、作業時間を1時間から40分にするものです。つまり、以後、あと1回でもこの作業をすれば、総作業時間はAさん=Bさんになり、それ以後はBさんのほうが短くなります。これが、仮に100人ごとをそれぞれが仕切っていたとすると、Bさんのグループは、100人×20分=2000分、Aさんのグループよりも人をうまく活用していることになります。
動き出しが遅いからと言って「頭でっかち」と言われることに僕が疑問を感じるのは、このためです。頭でっかちを悪いと判断すべきなのは、考える時間を使ったにもかかわらず、答えが出ない、前進しない場合、あるいは、その考える訓練すら長期的に意味を持たなかった場合です。そんな簡単に、「頭でっかち」を悪い、とは断罪できないように思います。
「とりあえずやってみる」は善なのか?