ポケモンのゲームが教えてくれたことを、僕は今一度思い返したい

誰もがご存知で、一度は通ったことがあるかもしれないポケモンですが、そのゲームの見えないルールを理解して遊んだことがある人は、どれくらいいるのでしょうか。

 

努力値、個体値、種族値。これらの数字を知っている人たちは、割と本気でポケモンのゲームで遊んできた人なのでしょう。

 

今回は、この3つの値のルールの興味深さと、この世を生きる上での才能・努力について、考えたことを整理してみました。

 

すべてのポケモンには、あらかじめ2つの値が与えられている

まず、それぞれの値について、簡単に書いておきます(ご存知の方は、飛ばしてもらっても大丈夫です)。すべてのポケモンには、2つの値が与えられています。それは、種族値と、個体値です。

 

種族値とは、その種類による固有の数値で、もともとゲームにプログラムされている数値です。ポケモンは以下の6つの能力を持つのですが、その6つの能力を、ある種族がどの程度持っているのかを表します。

 

例えば、ポケモンに詳しくない人でも、きっとよく知っているであろうピカチュウの種族値は、

HP(体力):35

こうげき:55

ぼうぎょ:40

とくこう:50

とくぼう:50

すばやさ:90

合計:320

です。これは、どのピカチュウでも同じです。

 

これが、ピカチュウの進化系であるライチュウになると、

HP:60

こうげき:90

ぼうぎょ:55

とくこう:90

とくぼう:80

すばやさ:110

合計:485

に変わります。ピカチュウと同様、どのライチュウも同じ数値です。

 

この種族値は、つまるところ、その種族のポケモンの潜在能力を表しています。ちなみに、だいたい強いポケモンはあるステータスで130~160、それを超えるものも存在します。合計が600を超えるものは「600属」とも呼ばれます。

 

伝説のポケモンのミューツーは、この種族値が合計680あります。なんとピカチュウの2倍以上です。

 

次に、個体値です。こちらは、同じピカチュウでも値が異なります。6つのステータスのそれぞれに、0~31のいずれかの数字が振られてています。

例えば、あるピカチュウは、

HP:1

こうげき:13

ぼうぎょ:20

とくこう:30

とくぼう:21

すばやさ:31

という感じに。

この場合、このピカチュウは、他のピカチュウに比べて、HP(体力)が劣る代わりに、とくこう(物理攻撃ではない、ビームなどの攻撃)とすばやさ(先手のとりやすさ)が高いといえます。

 

この2つの数字は、ポケモンと遭遇したとき、あるいは卵をもらった瞬間から、そのポケモンが持っている能力です。

 

一方、もう一つの、「努力値」は、これらの2つの値とは異なります。

 

戦闘から学習で獲得する値、「努力値」

努力値は、戦闘による学習を経て、伸びるステータスです。

 

あらかじめ、どのポケモンにもボーナスが与えられています。たとえば、ポッポという鳩のポケモンには、「すばやさ:1」が与えられています。このポッポを倒すことにより、倒したポケモンは「すばやさ:1」のボーナスを得ることになります。このボーナスが「努力値」であり、これを4ポイント貯めるごとに、「すばやさ」の最高値が、ボーナスを貰っていない場合と比べて1上がります。

 

ボーナスは合計で252まで貯めることができるので、÷4で、あるステータスを最高で63上げることができます。

 

ただし、このボーナスは合計で510ポイントしか獲得できないので、2つのステータス(例えば、「すばやさ」と「こうげき」)で252ポイント獲得したポケモンは、合計510のうち、504を振ってしまっているので、他のステータスは手薄になるのです(この場合、打たれ弱くなります)。

 

この割り振り方は、育成者の戦略によって変化します。「すばやさ」と「こうげき」や「とくこう」を極限まで上げて、先手必勝を狙うポケモンに育てるもよし、打たれ強くして、絡め手で徐々に相手にダメージを与えるも良し、同じ種族のポケモンでも、いろいろな戦い方があります。

 

戦略性が、本当によくできているよな、と思うのです。

 

ポケモンを現実になぞらえてみると

おそらくこのブログを読んでみえる方は、「コイツは懲りずに人生に例えようとしているな」と、気がついたかもしれません。

 

そうです。ですが、上述の文書を読んで、みなさんもおそらく「人生みたいだなぁ」と半ば感じ取ったのではないでしょうか。

 

現実はもっと複雑である一方、ポケモンの世界がルールに沿ったゲームではありますが、割といろいろ教えてくれることがあると思うのです。

 

まず、種族値については、僕らとライオンを比べるようなイメージでしょうか。僕らとゴリラも、ポケモンの世界では違う種族だと考えられそうです。

 

よって、僕らはほぼ同じ遺伝子を持っている「ヒト」という種族に属して、(五体満足で生まれることができれば)同じ種族値が与えられていると考えられそうです。

 

一方、個体値は、そのヒトの、これまた遺伝的な向き不向きや性向についてだと考えられそうです。

 

ヒトは、皆99%以上同じ遺伝子を持っているので、それによって同じ種族に分類され、ヒトの「種族値」が与えられ、その種族の中の、「個体値(遺伝的特性)」と「努力値(どんな経験をしたか)」によって、枝分かれしてゆくと考えられます。

 

このモデルで考えたとき、個人的に興味深い考察がいくつか出てきます。

 

才能と努力、性格をポケモンの世界で考えると

まず一つ目に、しばしば対立概念として考えられがちな「才能」と「努力」についてです。これがポケモンにおいては「個体値」と「努力値」にそれぞれ対応します。

 

ポケモンの世界において面白いのは、個体値の上限が31までである一方、努力値による上限は63までである点です。伸ばさない才能に、努力は勝るのです。

 

これは、バトルの戦略性に意味をもたせる(育て方によって違いを出しやすくする)ためとも考えられますが、同時に制作側の願いでもあるのでは、と勝手に思っています。

 

もちろん、才能がある(例えば個体値が31)ステータスを努力によって伸ばせば(努力値のステータス:63)、合計で94伸びることになり、これに勝るものはありません。

 

だからこそ、人は向き不向きに悩むのです。そうなると、自分がどんな才能を持つのかのかが重要になってきます。

 

これがさらに面白いと感じるところで、ポケモンの世界では、その個体のステータスのうち、最も個体値が高いものについては、ポケモンの「せいかく」として表れます。

 

たとえば、「せっかち」な性格の持ち主は、「すばやさ」の個体値が高い、などです。

 

これを現実に還元すると、普段の振る舞い(性格)に、その人の才能が隠れているのでは?という仮説に繋がりますし、これもあながち間違いではないようにも思えます(もちろん、ただのゲームと言ってしまえばおしまいです。)。

 

コツ・アイテムの活用・戦略について

もう一つの興味深いことは、努力値には、上げるコツがあることです。ポケモンにはアイテムをもたせることができるのですが、あるアイテムを持たせると、努力値が上昇しやすくなります。たとえば、「パワーリスト」と呼ばれるアイテムをもたせた場合、バトル中のすばやさが半減する代わりに、「こうげき」のボーナスを8ポイント追加でもらえます。

 

これは、努力にも、より効果的な努力が存在する、ということです。これも、現実に即して考えられそうです。

 

もうひとつ、面白いアイテムとして、「がくしゅうそうち」が挙げられます。これをもたせたポケモンは、実際に戦闘をしなくても、他のポケモンの戦闘から経験値と努力値を得ることができるのです。

 

これは、武道における「見取り稽古(見て学ぶ稽古)」にも通ずるところがあるように感じます。「背中を見て学ぶ」もこれに近いでしょうし、税理士や弁護士など士業おける「かばん持ち」にも、近い意味があるのではないかと感じます。

 

さらに面白いのが、これらのアイテムは、ただストーリーを進めてゆくだけでは何の意味があるのかわからないものもあるし、もっというと、知らずにゲームを降りてしまう可能性すらあることです。知っていること、それを活用できることが努力の仕方において重要だと教えてくれているように思います。

 

本人が「がんばって」レベル100まで育てたつもりでも、計画性のない努力の結果育ったポケモンと、計画性のある努力によって育ったポケモンは、能力値が異なるし、どちらがより強く戦えるかというと、基本的には後者です。あるレベルまでは、「知っている」ことは重要のように思います。

 

小学生の頃、はじめてポケモンのゲーム(金)をはじめたとき、すでに努力値自体はあったというし、それ以降の作品で、「パワーリスト」も存在していました。しかし、これは物語の後半ではじめて出てくるアイテムでもあり、「よくわからん」と当時は興味を持ちませんでした。

 

しかし、高校生の頃、これを知ったときの感動たるや。ガブリアスを一撃でたおすトドゼルガがいるなんて、思いもしなかったことを思い出します。これが、「戦い方を知る」「そのための努力の仕方を知る」こと、つまり「戦略」なのだと、当時学んだ記憶があります。

 

ゲームだって、全然捨てたもんじゃない

この記事は、高校2年の物理の授業中、友達4人と通信対戦をして、ケタケタ笑っていた頃を思い出しながら書きました。トゲキッスのエアスラッシュでトドゼルガを7回連続でひるませたときの気持ちよさを、僕は一生忘れません。

 

書いていて思うのは、やっぱりゲームだって捨てたものじゃないということです。(全然意味は違うけど)ゲーム理論なんつって。

 

今回題材にした3つの値のような、日常にある隠れた法則性などを、ゲームをするように探してゆく、そんな視点を持てたら、毎日が楽しくなるのではないでしょうか。

 

また、「ゲームなんてしていないで」と叱る前に、そのゲーム性の深みを覗いてくれる人が、子供にさらなるゲームの面白さを説いてくれる人が将来増えることを無責任に願います。

 

最後に。これだけ書きましたが、あくまでゲームはゲームです。現実は、確かにもっと複雑です。それがまた面白いんですけどね。

 

制作:メディアに学ぶ

提供:あたまのなかのユニバース

 

やてん

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