「非論理的な日本語」について「思考」する

この記事にたどり着いた方は、「論理的思考力」とか、同義とされる「ロジカルシンキング」とか、そんな言葉を聞いた事があったり、あるいは日常的に用いているかもしれません。あるいは、その言葉について内容が書かれた書物を読んだ事があるかもしれません。

 

この記事の内容は、「日本語の中には、論理的でないものが含まれる」というものです。そして何気なく使うそうした日本語について考えることで、認知能力をあげられるという事でもあります。

 

では、主題に入ります。「論理的思考」という言葉の意味を調べると「筋道を立てて考える事」と書かれています。わざわざ「論理的(筋道立てて)」とつけるわけですから、「考える事」は、論理的、あるいは筋道を立てる事ではないのでしょうか。「考える」の意味を調べてみると、「筋道を立てて頭を働かせて客観的に判断する事」だそう。「考える」時点で筋道立ててるじゃないか。

 

つまり、考えるという言葉には、「論理的である」という意味が含まれ、「論理的思考」ってのは、意味が重複しているという事です。「頭痛が痛い」みたいなものですね。

 

ところで、「考える」という言葉を今僕は調べました。「思考」で調べたわけではありません。なぜなら、「論理的」という言葉が、「考える」の方に含まれると仮説を立てたからです。では、「思考」の「思」、つまり、「思う」とは何でしょうか。調べてみると、「物事に対して感情や意識を持つ」事のようです。「思う」には「論理的」とは異なる意味合いがありそうです。

 

例えば「ポカポカ」という言葉から、僕は「春」を「思い」ます。しかし、これは論理的ではありません。仮に論理的である場合、この二つには筋道が立つはずなので、「ポカポカしていれば春である」が客観的に正しくなければなりません。しかし、ポカポカする秋を感じる人もいるでしょう。

 

「思う」は、考えるに対して、主観的で曖昧であるようですが、ではなぜ必要になるのかというと、ある状況に対して「違和感」を感じたり、「こうだったらいいのに」と「欲」を感じたりする事が、「思う」ことだからです。その使い方によって、「考える」をより効率的にする事ができるのです。

 

「考える」ということには、「前進タイプ」と「逆算タイプ」があると考えます。「前進タイプ」は、「今自分はこんな感じ」「相手はこんな感じ」「世の中はこんな感じ」「だから、これをやろう」「そうするとこうなるから・・」というふうに、筋道を「今」から「未来」に向けて作るタイプです。未来は不確実で無限にパターンがあるので、「前進タイプ」で「考える」だけだと、迷子になってしまうこともあるでしょう。これに「思う」を介入させると、「今、これをやりたくない」という一時の感情で、長い目で見たら大事なはずのことを見落としてしまう可能性が大きいです。行き当たりばったりであり、長い目で見たとき、矛盾した選択をしてしまうということです。

 

もう一つの「逆算タイプ」が、効率的に「考える」タイプです。自分の「思い」から、「こうありたい」というゴールをイメージし、「こうするためには」「こうでなきゃいけない」「だから、こうなっておく」「そのためにはこれが必要だから、これを用意する」「これを用意するためには・・」というふうに、筋道を「未来」から「今」に向かって持ってくるタイプです。

 

今の状態から「考える」場合、その筋道は多岐に渡りますが、未来から筋道を引っ張ってきて、その筋道を通るために必要な道の候補を立てられているため、「逆算タイプ」の「考える」の効率がより良いとわかります。そして、この「逆算タイプ」の「考える」を、世間では「戦略的思考」と呼ぶのでしょうね。

 

では、「論理的=筋道を立てる」とは、どういうことでしょうか。僕は、「道を認識できる事」が「論理的である」と定義します。そもそも、道というのは歩く線です。僕らが大地を歩いており、その大地が複雑である場合、「道」を認識できるでしょうか。複雑さが高い場合、できないでしょう。だから、僕らは道を「大地を線で分けて、道と、道以外を作る」のです。あるいは「複数の別の道に分ける」。もっと大雑把に言うと、「物事を分解する(できる)」という事です。

 

そもそもこの記事の内容は「日本語には、非論理的な言葉が存在する」でした。つまり、分けられていない言葉があるということです。そして、まさに、「論理的思考」は、それということです。「考える」という言葉の中に「論理的」が含まれているのに、「論理的」をつけてしまうのですから、「考える」をわかっていない。つまり筋道をしっかり分けて作れておらず、「論理的ではない」。「論理的思考力」という言葉は、論理的ではないのです。

 

こういう論理的ではない言葉は、英語を和訳することでできた言葉であり、翻訳が適切ではないからごちゃごちゃして、「分かっていない=分けられていない=筋道を作れていない=論理的でない」のだと考えます。実際に、「ロジカル・シンキング」について考えて見ます。これを和訳して「論理的思考力」にしたのでしょうが、英語の「シンク(think)」は本来「考える」より「思う」の要素が強いです。そして、「ロジカル(logical)」は「筋道の通った、必然な」という言葉です。つまり、「ロジカル・シンキング」は、論理的な日本語を用いる場合、「思考」の方が正確な訳でしょう。決して、「論理的思考」にはなりません。

 

こういうグチャっとした日本語を使うヤツはたくさんいます。グチャとっとしていることを認知せず、言葉の意味にも疑問を持たず、とりあえず意味について書かれた文章を丸々覚えて意味を理解したと勘違いする。「自分で考えられない人」というのは、「本当のところ言葉をわかっていない人」なのでしょうね。

 

僕自身も、いつも論理的というわけではないでしょう。知らないこと、考えたこともないことは、すぐには論理的に扱えないと思います。しかし、自分の知っていることくらいは、論理的に扱えるようになりたいですし、知らない物事を論理的に捉えることを怠らないようにしないとな、と思いました。思いましたので、まずはそうなるための筋道を未来から持ってこないといけませんね。

 

 

 

 

 

 

 

やてん

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