「自分の頭で考える」とはどういうことか。因数分解して考えてみた。

前回の記事で、「読書は自分の考えを広げたり、深めたりするためにするものだ」と書きましたが、そういえば、読書を習慣にし始めた頃の自分は、「自分で考える」について理解できていなかった、と思い出し、この記事を書くに至りました。

 

「自分で考えろ」「もっと考えろ」・・こんな事を言われても、言われる本人からしたら、「え、自分は考えているんだけど・・」という認識のことも多いはずです。

 

僕は、「考えなしな奴」と思われるほど、周りのレベルから遅れている訳ではなかったようですが、それでも、「自分の頭で考える」をしっかり理解し始めたのが、ここ2〜3年(現在、28歳です)です。

 

「自分で考える」事を、もっと早くにできていたらなぁ・・と後悔をしています。

 

そこで、今、「自分の頭で考える」に悩んでいる人に、何かしらの気づきを提供できれば、と思い、この記事を書きました。

 

「自分の頭で考える」の前提

まず、この「自分の頭で考える」について、いくつか注意点、あるいは前提を挙げておきます。

 

  • 「自分の頭」で考えるからと言って、他人と違う結論を導かなくても良い
  • 「考える」は無意識下では行えない

 

一つ目はマインドセットの面の前提で、「自分の頭で考える」の「自分の頭」を意識しすぎるがために見過ごされがちなポイントだと個人的には思います。

 

仮に、考えて導いた結論が大多数の人と同じだったとしても、自分の頭で考えていないわけではない、と言うことです。

 

結果のクリエティビティよりも、自分で考えた過程が重要、とも言い換えられるかもしれません。

 

二つ目は実践における注意点ですが、「考える」は、無意識では行えません。「1日中考えたんだけど、いい案は思い浮かばなかった」場合、「考えた」を動詞に用いるのは誤っています。

 

この場合、「悩んでしまった」とか「集中できなかった」とか、そういう動詞が使われるべきだと感じます。また、この混同が、「考える」をわからなくさせているのだとも感じます。

 

「自分の頭で考える」とは

まず、結論を示しておきます。「自分の頭で考える」というのは、以下の要素の掛け算で表せます。

 

自分の頭で考える = 情報を仕入れる 情報を理解する 情報どうしの関係性を検証する

 

これではやや抽象的なので、一つ、ごく簡単な例をあげます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

今、あなたはお腹がペコペコだとします。

 

そこで昼ごはんを食べたいと思い、近くにあるごはん屋を調べました。

 

近くに、パン屋が一軒あるようです。行ってみると、様々なパンが売っている中で、ライ麦パンが珍しく、目に止まりました。

 

あなたは、雑穀のパンが健康に良いこと、そして、お腹が膨れること、そして香ばしくて美味しい事を知っています。

 

ライ麦パンは食べたこともなく、興味をそそられ、買って食べてみました。ところが、ライ麦パンは好みの味ではありませんでした。

 

結局お腹は減っているため、最後まで食べましたが、不満が残りました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

この例は「自分の頭で考えていない」のいい例です。ちなみに、僕の事です。

 

この例において「自分の頭で考える」を適用させると、行動が変わる点があります。

 

「自分の知っている雑穀(全粒粉)とライ麦は本当に同じような風味なのかを疑い、調べる」


上の例では、「ライ麦も雑穀の仲間だから、雑穀と似たような味だろう」という、曖昧な理解と、それを発展させた思考から悲劇が生まれています。

 

ここで、まずライ麦の風味が雑穀と同様かを疑い、調べていれば、満足の行く昼ごはんを食べられていたかもしれないのにです。


この例では、「情報を仕入れる」を怠り「情報の理解」を後回しにした結果、昼ごはんに満足いかない結果に終わった、と結論づけられます。


一方、「自分の頭で考える」を実践していたとしたら、ライ麦パンについての「情報を仕入れ」、見知った全粒粉と違い、ライ麦パンには酸味が含まれる「情報を理解し」、「ライ麦パンは、酸味が苦手な自分が食べると美味しく感じないだろう」と推論し、結論として、買うのをやめていただろう、となります。


「自分の頭で考える」は、情報に対する「正しい理解」からはじまると感じます。


言葉で理解しなければ、「考える」は始まらない

上の例は簡単な日常の1シーンでしたが、日々の中でも、曖昧に物事を済ませてしまう事は多々あるのではないかと思います。


理解を曖昧にしているうちは、「考える」のスタートラインにすら立てません。まずは、それが何なのかをしっかり認識し、理解するところから始めなければなりません。


例えば、日本にはなぜ四季があるのか、ご存知ですか?これには、モンスーンと呼ばれる、海水温と地表面の温度の差から生まれる季節風が影響しています。

 

この内容を、「日本にはモンスーンが吹くから四季がある」だけで理解したつもりになってしまう人は、実のところ、「モンスーンとは何か」や「なぜモンスーンが季節風と呼ばれるのか」を理解していないはずです。


そして、モンスーンに対する理解から導き出されるはずの、「なぜ日本に四季があるのか」も、本当のところでは理解していない事になります。


普段口にしている言葉のうち、しっかりと説明できるものがどれくらいあるのか。また、どのような理解の仕方をしているのか。意外と見過ごされがちな小さく細かいところなのですが、これが、「考える」の入り口なのだと僕は感じます。


そして、まずはしっかりした理解をするために、面倒がらずに情報を仕入れる。これも、見過ごされがちだよな、と思います。

 

「考える」の核=情報どうしの関連性を検証する

「考える」の真髄は、ここにあります。要するに、情報どうしに関係性があるのか、あるいは関係性をつくれそうなのかを検証するところです。

 

先程の日本の四季の例ですが、モンスーンとは、大陸の地表と、太平洋の水温の差によって生まれる風のことだと言いました。では、なぜ、それが四季を生む理由になるのでしょうか。

 

ここで、なぜ、日本に四季があるのかについて、考え、結論を出してみましょう。

 

結論を出す上で必要になる情報は、以下のとおりです。

 

A:海水が地表より暖かくなる場合、地表から海側へ風が吹く(北風)。この空気は大陸側からくるわけだから、乾燥していて冷めやすく、寒い。

B:海水が地表より冷たくなる場合、海側から地表へ風が吹く(南風)。これは湿気を含み、冷めにくく、ぬるい。

C:空気は、冷たいところから暖かい方へ動く。

D:水は、空気に比べて温度が変化しにくい。

E:日長時間が長くなると、空気が暖められる時間が長くなり、気温が高くなる

F:地球は、地軸が23.4度ずれており、日長時間が年間を通して変化する

 

これらの事実をもとに、なぜ日本に四季があるのか、自分の頭で考えてみましょう。

 

これら6つの情報は、それぞれ関連性を持ちます。それぞれがどのようにつながり、日本に四季が訪れるのか、それについて、答えを出してみてください。

 

これをやっているうちに気がつくと思いますが、「考える」をすると、ボーッとはしていられないはずです。

 

頭の中で、こうでこうで、こうだから・・と、パズルのピースを組み合わせるような感覚があるはずです。冒頭で「考える」の注意点を「無意識下では行えない」と先述しましたが、これはそういう事です。

 

ちなみに、個人的な感覚の話をすると、考えるとき、目で物を見るのではなく、脳で見ている感覚になり、脳がジーンと内側へ収縮している感覚があります。

 

そして、考えるのを止めると、今度はぶあっと脳の収縮が解放され、今度は脳に、ジンジンした気持ちが良い疲労感がやってきます。

 

以上が、僕が思う、「自分の頭で考える」です。必要な情報を随時自分で仕入れ、それを理解しながら、情報同士の関連性も検証し、結論を導く。やる事自体は割とシンプルな気もします。

 

「自分の頭で考える」は、どのように開花するのか

これまでは「自分の頭で考える」とは何か?について、考えてきました。ここからは、その鍛え方について、考えてみます。

 

結論は、さっきの方程式から導き出せるのですが・・

 

自分の頭で考える = 情報を仕入れる 情報を理解する 情報どうしの関係性を検証する


この右辺の3つをそれぞれ鍛える、事になります。


つまり、「情報を仕入れる」「情報を理解する」、「情報同士の関係性を検証する」を、それぞれ鍛えてゆく、ということです。


まず、この記事に行き当たった人の中で、考えることを求められない人はいないはずですし、皆さんそれぞれに、考えて、結論を出し、行動に移さなければならないことがあるはずです。

 

ですから、まずは、その「考えるべきこと」を優先して、この3つを実践してみてほしいです。


「情報を仕入れる」「理解する」については、曖昧な理解で終えないで、踏み込んでみる。「日本には、モンスーンが吹くから四季がある」で、理解を終えてしまわない。

 

もう一踏ん張り、掘る。掘り続ける。


そして、その理解した情報を、どんな風に使えそうか。それを、自分が前進させたいことに対して、どのように用いるのか、パズルのようにあれこれ検証してみる。


これを日々しながらも、訓練をさらに積みたいと思うならば、自分で疑問をつくり、それに対して上の3つを実践してみるのもオススメです。

 

そもそも、「自分の頭で考える」とは何か?と考えるこの記事自体、僕が自分の頭で考える練習になっています。


「疑問って何について持てば良いのか・・」と思うかもしれませんが、なんでも良いと思います。コカコーラってペプシより売れているのかとか、ガムってどうやって製造されているのかとか。

 

そして、ここではじめに書いた前提に戻ってくるのですが、必ずしも目新しい結論が導き出されなくてもいいのです。

 

ああ、なるほど。だからこうなっているのか。こう結論づけられたのか。と、誰かの意見に納得をする。広く知られている事について、しっかり自分で理解する。これも、「自分の頭で考える」に該当するはずです。

 

誰かと同じ結論に至ってもいいのです。誰かの意見を鵜呑みにしたわけではないですから。思考停止して受け入れてしまうのとは、結論が同じでも中身のつまり具合が違います。

 

応用編:オリジナリティとは

「自分の頭で考える」の結論が目新しくなくても良い、とは言いつつも、やっぱりオリジナルの考えを持ちたいものだと思います。

 

これも、先程の方程式で説明できて・・

 

自分の頭で考える = 情報を仕入れる 情報を理解する 情報どうしの関係性を検証する


人が持っていない情報を仕入れる。別に、すべて違う必要はありません。自分の持っている情報の組み合わせが、人と違えばよいのです。

 

また、どれかについて、人より広く、あるいは深く理解していればよいのです。

 

そして、それを関連づける繋げ方が、ユニークであれば、それはオリジナルになりえます。この情報同士の繋げ方のユニークさこそ、オリジナリティなのではないかな、と考えます。

 

ちなみに、情報の関係性には、いくつか型(パターン)があり、それを意識するだけで、格段に情報の関係性を意識しやすくなるはずです。ここでは、代表的な2つの関係性について挙げます。

  • 因果関係
  • 並列関係


因果関係は、「AならばBである」です。「雨が振りそうだから、傘を持ってゆく」という情報の繋がりです。


並列関係は、「AかつBならばCである」において、AとBがそれにあたります。要するに、同じレベル感であるということです。


ちなみに、この他にも、数学で習ったであろう、裏、逆、対偶、帰納、演繹などについても、情報同士の関係性を考える上で、いい道具になります。

 

これについては、また書きたいなと思っています。

 

おわりに:「自分の頭で考える」とは言っても

「自分の頭で考える」について、ここまで書いてきました。書いてきて思うのは、「自分の頭で」とはいいつつも、実は仕入れる情報は、人が今まで発明・発見してきてくれたものだということです。

 

考えるための材料は、世の中にすでに存在するものなのです。

 

「自分の頭で考える」というと、全くの「0」から「1」を生み出すように思えるのですが、これが僕の結論でいうと、そうでもなさそう、ということになります。

 

あくまで、「0.1」が、「1」に。「1」+「1」=「3」になったりする(足し算というより、掛け算なのか?)だけで、全くの無から有が生まれることはない。

 

言い換えると、今までの人たちの叡智を借りて、僕らは、「自分の頭で考える」をやっているのです。

 

こう思うと、「自分の頭で」とは、少しミスリードだな、と感じます。

 

・・とはいえ、もしかしたら0から1が生まれる、ビッグバン的なスパークが、どこかにはあるのかな、と妄想せずにはいられない自分に、ちょっと笑えてしまいます。

 

長々と書いてきましたが、「自分の頭で考える」について悩んでいる人に、何か一つでもお土産を持って帰ってもらえたら、幸いです。

 

制作:ことばでブリコラージュ

提供:あたまのなかのユニバース

やてん

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