記録が直観に化けるとき 直観を伸ばすための「記録」のすゝめ
誰かが閃いた瞬間、そして、その閃きが正しかったとわかった瞬間。僕らは高揚し、その人に憧れます。直観的で、創造的なものを感じます。「閃」って字もシャープでかっこいい印象がありますし。「That’s creative!」と。そして、自分もそうありたい。自分の仕事に対しても、閃きでカッコよく、クリエイティブに仕事したい、と思うはずです。
ところが、この直観を発揮させるには、いくつか乗り越えなければならない条件があると考えておりまして、しかもその条件は、普段、ほとんどの人が積極的に避けてしまう地道なものだ、というのが、僕の感じるところです。
この記事の題に書かれている通り、僕は直観で仕事をできるようになるための一つの条件に「記録」が挙げられると考えています。「閃き・直観を養い、スピード感ある仕事をするならば、毎日の仕事をとにかく記録から始めるべき」という事です。嫌な言葉だと自分でも感じます。「それは直観じゃないじゃん!」という気持ちも湧き上がってきます。直観には、「天性」だったり、「センス」だったりと、非凡なものを感じ、だから憧れるもので、愚直な積み重ねの結果だなんて、信じたくない。
ところが、この方は直観が鋭いな、と感じてきた方は、皆、そういう地道な積み重ねをしてきた方だと感じます。あるいは、記録をしていなくとも、何十年と同じ事を一筋で続けてきた方です。例えば、同じ作目を何十年と作り続けている農家さんとかもそうです。
一方、逆も然りで、見栄えをよくしたいがために、直観的に振る舞おうとする、いわゆる「かっこつけたがりな人」は、地道な積み重ねを最も避ける傾向があることも、僕の感じるところです。ちなみに、直観を鍛えてきた方からは、実はこの二つの説は大いに共感を得られています。
直観は、発揮される場面だけを見ると「思考を伴わない一瞬の出来事」にみえるせいで、なかなかその実情が明かされることはありません。そして「やり続けていれば」「長年やっていれば」、とそう片付けれられてしまいがちなものだと感じます。
僕はこの風潮は違うなと感じています。なんとなくその正体について思いを馳せ、追いかけてきた自分から言わせてもらうと、もう少し具体的に説明できるだろう、と感じるし、それを説明して理解してもらおうとする努力はすべきだと感じます。そうすれば、もっと多くの人が、楽しく仕事できるようになるはずだからです。
そういうわけでこの記事では、今の段階で僕が思う直観の「正体」と、その「鍛え方」について、自分の考える範囲ではありますが書き残してゆこうと思います。
直観とは何なのか
直観とは、「一瞬で行う場合わけ」です。「場合わけ」は、数学を真面目に勉強してきた方には馴染みのある言葉ではないでしょうか。ある二次関数が、上に凸か、下に凸か、などなど。数学においては、この「場合わけ」を行い、漏れもダブりもなく、全ての場合において、解答するという事が求められます。数学の難易度を上げる一つのポイントと言っても良いと考えられます。
数学においては「場合わけ」の後、すべての場合に対しての解答が行われますが、現実に脳内で起こる直観では、「場合わけ」と「場合の選択」、「その解答」の3つのプロセスが行われます。上の二次関数の例で例えると、「この問題には、上に凸と下に凸の2パターンが考えられるけど、今回のケースは上に凸だけど頂点が定義域にないから、最小値は定義域の下限(上限の場合もあり得る)だ!」という感じです。
直観の育み方というのは、この一瞬の閃きの作り方を、現実の仕事に応用していると言えます。
図で表すとこんな感じですが・・
それぞれの情報が階層に分かれている事がわかります。つまり直観とは、階層状の情報を一気に上から下に引き伸ばしてくる事と言い換えられそうです。
よって、直観を鍛える方法は、日々の出来事について、「情報を記録する」「情報を階層化させて整理する(思考する)」「それを使って予測・検証する(直観の練習)」の3つにあると考えられます。こう見ると、直観を鍛えるには、「情報を記録する」がなければ成立しない事がわかります。情報がなければ「整理」の過程はそもそも生まれないですから。
直観につなげる「記録」とは
さて、ここからが本題です。まずは「直観を鍛える」という観点から「記録」について、考えてみます。
直観の図をもう一度見てみると、直観が生まれるためには、情報が階層化されている事が重要という事がわかります。すべての情報がバラバラになっている場合、それを一から繋いでゆくのでは、直観の魅せるあの瞬発力は生まれません。ですから、「記録」の段階で、ある程度思考し、階層を作るためのイメージも作り上げたいところです。
ところが、実はこれは難しいです。体系がそもそも整っていない、何が起こるかわからない、そういうものを初めから整理する事はできないからです。階層を作った事がない人が、いきなり自分の情報を階層化させる事を意識して記録するのは難しいのです。ゆえに、ほとんどの人が直観を養う事ができないし、直観とは違う、場当たり的で、そのときの感情にも左右される「直感」で、日々の仕事をこなしてしまうのです。
つまり、「直観を養うための記録」において重要なのは、とりあえず、なるべく取りこぼさないように情報を記録しておく事です。もちろん、全く整理できていない形での記録(冊子に日記を書いておく、など)は、次のステップである「階層化」に進む上で面倒になるので、ガントチャートなり、何なり、整理する「軸」を決めて自分なりに記録方法を考える必要はありますが、それが全てと考えず、気がついたことや、毎日・毎週・毎月・毎年状況が変わるような事は、なるべく記録しておくべきというのが、僕の考えです。
また、共同作業や並行作業の場合、全体について、できうる限りは記録しておくべきだと考えます。仕事同士の関係性を知り、その構造にメスを入れる事で改善することもできるし、さらに上位にある構造のクセ(こういう考えで仕事を進めがち、など思考のクセ)を、下で記載する「情報の階層化」において発見できれば、大きな生産性の向上につながる可能性も秘めています。
実は、僕にはこれを教えてくれていた方がいます。前の記事でも登場した、大学時代の研究室の教授です。先生は、「いつどんなデータが役に立つのかはわからないから、些細な事も見逃さないよう、よく観察をしてメモをしておくように」と教えてくれていました。僕は当時、まだこの言葉の意味を理解できていなかったのですが、ここ数年で、この重要性に気がつきました。
とっっても「地道」ですよね。ほとんどの人がやりたがらないでしょう。なぜなら、やった人にしか、成果に気がつけない厄介さがあるから。しかも、その成果が想像以上に大きいのです。これに気がついたとき、自分でも納得しました。なぜ、あの先生がすごかったのか。小学校からの友人の彼は、どうしてあんなにすごかったのか。自分の出会った人たちの凄さとは何なのか。毎日コツコツとやっているからなんだな、と。みんなが嫌がって避けてしまう事を、地道にやってきたからだと。
大切な事なのでもう一度。「はじめに記録ありき」です。
直観につなげる「階層化」とは
上では、情報を記録する事について書いてきました。次は、その情報を階層化してゆく事をします。が、これについては、実は伝えられる事が少ないのです。なぜなら、自分で気がつくしかないからです。その人が携わるものによって、作り上げれらる階層、回路は全く違います。同じ仕事についている人ですら、「型」の部分はあれど、異なるものが出来上がる事があるはずです。「〇〇思考」という本が毎月のように書店に平置きにされるくらいですから。
言える事は少ないのですが、そのいくつかのポイントを挙げると、「分類できる」「俯瞰できる」「見積もれる」の3つで、記録した情報を選び、階層を組み立ててゆくのが重要だと考えます。
まず分類というのは、階層化そのもです。階層化というのは、人間に特有の思考であるとされる、「抽象化」を活用したものです。何となくこういうパターンのとき、こういう事起こりがちだな・・というのをつなげてゆきます。これが、複雑な危機を乗り越えて、人間がこれまで生き残り、しかも生活を豊かにしてこられた理由でもあるように感じます。一般的に、抽象化された情報は、何となくの「感覚」にとどめられがちなのですが、これを言語化して整理する事で、短期間で「長年の勘」を自分のものにする事ができます。
「以前のケースAと今回のケースBでは、同じ炎上の仕方をしたけど、それは共通する〇〇が原因ではないか。」「今回のケースもそうだったけど、あの人のケースでも、あれを活用したらうまくいった。つまり、うまくいくときって、「こういうとき」か?」「これでうまくいくのはこういうパターンだったけど、他にもパターンはあるぞ、ケースCのときとケースDのときは・・」
それぞれのケースやそのケースにおける詳細の情報は、普段から記録してある情報です。それを、例のようにまとめ上げてゆくのです。自分の何となくの記憶を信じて頼っていると、少し時間が経てば肝心なところがぼやけてしまい、それをくっきりさせるのには何度も経験する事が必要になり、結果、「長年の勘」という言葉で片づけられてしまうのです。
この一言でしか片付けられないものも、この世の中にはたくさん存在するでしょうが、それでも、この直観を作り上げるプロセスには変えがたい価値があると感じます。このプロセスによって、「長年の勘」も「中年の勘」になるかもしれませんし、やっておくことは必ず「将来への投資」になります。
以上、一つ目のポイント、「分類する」でした。
二つ目の「俯瞰できる」、というのは、例えば誰かとの共同作業を行う場合、その共同作業の全体がわかるような階層化をするという事です。上の「記録」で少し触れましたが、すなわち、自分の担当するところだけを記録していれば良い、というわけではないという事です。自分の仕事は誰かの仕事で成り立っているという意識を普段から持ち、仕事全体を見て記録し、それを「鳥の目」で俯瞰して考えられるように、情報を整理しようという事です。
これは、いくつかのプロジェクトが並行して動いている場合も同じです。すべてのプロジェクトは、自分やチームの時間を奪い合う関係にあります。それらを、より適切な形で配分するためには、自分以外、ある特定の仕事以外の仕事の情報も必要になるのです。
ちなみに、今回の話とは離れるのですが、「管理職」「マネージャー」など、人の上に立つ人に求められるものを一つ挙げるならば、僕はこの「俯瞰」に関する直観だと答えます。そして、この直観に基づいて判断を下し、物事を柔軟に進めてゆく事を「リーダーシップ」と呼ぶのではないでしょうか。
以上が、二つ目のポイント、「俯瞰できる」でした。
最後のポイント、「見積もれる」は、要するに、数字で表せる場合は、それを使って階層化させようという事です。
数字を使うことによって、より直観の精度が上がります。例えば、農業の話で簡単に例を挙げると、「35度以上の日が何日も続く事が予想される場合、あるいはラニーニャ現象(猛暑を引き起こすとされる気象現象)が予想される場合、播種日を遅らせる」や、「降水量が3ミリ超える日が続く場合、水やりのペースは倍に広げる」などです。小さい例ですが、具体的な数字を使って見積もれるようになると、そのときどきの仕事の全体像を予測し、先を見通した大体の計画の立ち上げや修正を可能にします。
これが三つ目のポイント、「見積もれる」でした。
この三つのポイントを意識しながら記録してきた情報をもとに、「情報の階層化」を進めれば、「直観の原石」が出来上がります。
直観は進化させてゆくもの
「情報の記録」、「情報の階層化」をしてきた中で出来上がってきた「直観の原石」は、あくまで「原石」です。これを磨き続けて初めて、自分が憧れてきた閃き・直観・創造に繋がってゆきます。
磨き続けるには、自分の作り上げた原石を使って、「予測(仮説)する」「正誤を検証する」を繰り返し行なってゆく事が重要です。あら不思議、書いていて気がつきましたが、耳にタコができるほど聞いてきた「PDCAサイクル」にそっくりな構造です。PDCAというのは、もしかしたらこの事を言っているのかもしれません。このサイクルを繰り返し行なってゆく中で、「直観の原石」が徐々に形を変えてゆくかと思います。それを続けてゆく中で、妙に自分の予測が当たるようになってくるはずです。
もしその瞬間が訪れたら・・それが、「記録が直観に化けるとき」だと、考えます。
追伸:メモの意義について書いている記事もあるので、よかったら見て行ってください。