取り戻せ、「お世話様」の精神 「お礼」から覗く、経済とイノベーション

以前に書いた「論理的思考」についての考察が意外と閲覧されているので、今回はその第二弾っぽい記事を書いてみました。

 

「お世話様です」と言ったこと、または、聞いたことはありますか?日常で使われる際、その意味合いは、感謝を伝える「ありがとう」に近いと思われます。

 

僕は、この言葉を使ったことはありませんが、実はこの言葉には愛着があります。今回は、「お世話様」について、考えてみようと思います。

 

世間で認識される「お世話様」

先述の通り、「お世話様」は、「ありがとう」に意味合いが近いようです。しかし、「ありがとうございます」がビジネスの現場でも扱える言葉であるのに対して、「お世話様です」は、目上の人から目下の人に使う言葉として捉えられているようです。

 

似た言葉に「お世話になっております」がありますが、この言葉は、敬意も含む言葉であり、それが「お世話様」との違いで、その結果、前者が圧倒的に扱いやすい言葉として使われています。

 

近い意味合いで言うならば、「ご苦労様です」が挙げられそうです。これも「お世話様」と同格の言葉であり、目上の人から目下の人に使う言葉です。

 

ところが、広辞苑において「ご苦労様」に上下関係の注意書きがあるのに対して、「お世話様」にはそれがありません。もともと、「お世話様」には上下関係の注意が払われていない事が予想されます。

 

また、「ご苦労様」に至っては、もともとは目下の者が目上の者に対して用いる言葉だったこともわかっています(こちらの論文を参照)。

 

ちなみに、現代において使い勝手がよい、「お疲れ様です」は、もともと夕方のあいさつとして使われていた方言だった(こちらを参照)ようで、随分意味合いが変わったのだな、と感じます。

 

この辺りの言葉は、語源を意味合いに持つ言葉と言うより、単なる「記号」として扱われるようになった言葉のようです。


それでも「お世話様」が好きな理由

さて、ここからが本題なのですが、実は僕は「お世話さま」という言葉が好きです。その理由を述べると、アダム・スミスに行き着きます。

 

アダム・スミスと聞くと、ご存知ない方もみえるかもしれません。彼は、「神の見えざる手」という有名な言葉を残しているイギリスの経済学者です。有名な著書に「国富論」があります。初登場は高校の倫理の教科書でしょうか?

 

彼は、別の著書である「道徳感情論」の中で、「世話」という言葉を用いて、経済について説明しています。以下では、それを僕なりに要約します。

 

僕らは、面倒に感じる事を人に頼む際、親や兄弟に頼み事をするのと、友人など親族以外にするのでは頼みやすさが異なり、赤の他人となれば、なおいっそう頼みづらく(頼めなく)なります。

 

ゆえに、僕らは、赤の他人から世話をしてもらう(つまり、商品やサービスを提供してもらう)ことに対して、お金を払います。アダム・スミスは、「お金を使うということは、見ず知らずの人に世話を焼いてもらうことだ」と書いています。

 

他人の世話があってこそ人が生きてゆける事を実感させてくれるいい考え方だな、と感じます。また、お金を使うことが、赤の他人に頼みごとをするという権力行使である事も実感でき、使うことになお一層注意を払おうとも思えます。「世話」という言葉を僕が好んでいる理由は、この二つにあります。

 

この考え方において、「世話」は、上下関係が入ってこない純粋な感謝の表明の言葉として捉えられます。「お世話様」という言葉は、「世話」に「お」と「様」がついただけの丁寧語であり、尊敬語には当たらないという意見もありますが、そういう形式を抜きにするなら、人に尊敬の念を持つ良い言葉だと感じるのです。

 

世話の「当たり前化」と「新しい資本主義」

サービス過剰という言葉があります。丁寧なサービスを重ねてゆくことでしか、自分の顧客の手を掴んでおくことができない者が、最後の手段で行うサービスの事です。

 

僕はこれを危険なものだと感じています。サービス過剰とは要するに、「お世話」の価値がどんどん下がっている事を言います。これくらいするのが当たり前でしょう?になっているのです。

 

アダム・スミスの理論で言えば、お世話とは、親族に頼む事と赤の他人に頼む事の距離感で測れるものでした。つまり、サービスの追加は、その対価の増加を意味するはずです。ところが今の世の中、その距離感がかけ離れていることに対しても、あまりお金を払いたくない、と考える人々がいるようです。

 

最近見かけたのは、ロゴやポスターを、「友達だから」と言って無料でやってほしいと頼む人です。いや、自分の力でできないものを、そして家族にも頼めないことを、人に頼むのに、お金を払わなくていいって何?その人が技術を得るための時間と努力をなんだと思っているのか。友人から無料で引き受けると話があったならまだしも。

 

他には、在宅でリモート会議に出席する通訳に対して、「在宅で移動時間もないのだから、無料で引き受けてほしい」と言われた、との例がありました。狂った人がいるものだと思います。ダメ元で聞くとしても、その人の品格を疑う発言だと感じます。

 

無料で他人に世話をしてもらえるという考え方は、サービス過剰の根源です。はっきり言ってしまえば、暴君です(名誉のため、実際にこの情報を発信した方については明記しません。)。

 

岸田内閣のキーワードである「新しい資本主義」では、従来から続く資本主義との違いとして「再分配」が挙げられていますが、再分配を税率で還元するのではなく、世話に対する正当な価値を見直すだけでも、格差の問題を解決する足がかりになるのではないかと感じます。

 

そもそも、資本主義の問題とされる富の集約と格差は、経済成長率以上に投資収益率が高い場合に起こる問題です。少し前に話題になったトマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」で、その理論が記されています。

 

このピケティの理論を裏返すと、経済成長率が上昇すれば、格差は狭まってゆき、さらに、それが投資収益率を上回れば、格差が解消されてゆく可能性があります。

 


経済成長率は、貯蓄と消費(投資)のバランスによって変化します。貯蓄が増える事が、誰かへお金が渡る事を妨げ、誰かの給料が減る。その給料が減った人は、給料が減ったせいで、消費も減る。貯蓄も引き続きしなければならない。その消費の減少が、また誰かの給料を減らして・・こうして消費が冷え込む連鎖が起こることで、いよいよ貯蓄すらできなくなり、給料のすべてを消費に回さなければならなくなる。これが、金融恐慌です。

 

逆に、賃金の上昇により、消費(投資)に使われる割合が増えれば、経済が活性化され、経済成長率も上昇します。

 

この賃金の上昇を、「世話」の価値を見直す事で達成できないか?というのが、僕の一つの意見です。

 

ちなみに、最近しきりに「貯蓄ではなく投資をしろ」とうるさいのは(すべきだと思いますが)、貯蓄と消費のバランスが貯蓄に偏るせいで、経済が景気を刺激する元本を得られなくなってきているからだと僕は考えています。

 

そして、政府が民間と手を組んでキャッシュレスを推進するのも、顧客情報とその消費をデータ化することで、Webマーケティングを仕掛け、消費額を増加させ、経済を回復させる事を企てていると考えています。

 

貯蓄とは将来の消費を見越してお金を貯める事なので、勿論必要だと思います。「将来、誰かに世話をしてもらうためのお金」とも言い換えられます。しかし、過度な不安から無計画にしすぎてしまうくらいならば、もっと人の世話に対して感謝の意を表明しても良いではないかと思うのです。

 

そもそも、自分が「安いから」と買っているものは、誰かの「世話」に対して正当な対価を支払って作られているのでしょうか?よくよく考えなければと感じます。

 

だから、イノベーションが必要なのだ

最後に、違う観点から「世話」について考え、おわりにしようと思います。

 

世話に対して正当なお金を渡し、格差を軽減する事も重要だと僕は考えていますが、世話(経済)について考えると、それを循環させるイノベーションの重要性も改めて感じます。

 

誰かの世話に対してお金が払われるのが経済ですが、人々がある世話を求めなくなれば、それを提供する組織や個人の必要性もなくなる事になります。

 

一方、それを埋める「新たな世話」が、経済を維持するために生み出される必要があります。あるいは、それが生み出されることによって、競合する組織や個人の必要性が失われたのかもしれません。これがイノベーションです。

 

イノベーションが起こるのは、ライフスタイルの変化や現状の枠で生きる事への不満に対して、その解決策が追いつき、その解決策に消費者が気がついたタイミングです。

 

つまり、人の不満や環境の変化を、もっと敏感に受け取らなければならない事になりますが、ここで疑問が表れます。日本人は、人のそういう不満を察する力に秀でているはずではないでしょうか?なぜ、察する事がうまいのに、イノベーションは起こりづらいのでしょうか?

 

ここで先述の内容に戻ってくるのですが、日本人は、サービスを追加で重ねることでその不満を解決しようと発想するからだと僕は考えます。サービスを重ねるのではなく、重ねなくてもよい仕組みを生み出す事を考え、実装する事がイノベーションにつながるのだと思うのですが、そこで考えずに我慢して世話を重ねてしまうのです。

 

それが「おもてなし」と捉えられているならば、日本の経済を鈍化させたのは、「おもてなし」の精神だと結論付けられてしまいます。皮肉ですね。

 

もしかしたら、この暗い時代を打破するには、まず自分たちが社会に提供する「お世話」の値打ちについて、もっと客観的に考える事が重要なのかもしれません。

 

上下関係とか、そういう記号的な議論は、もうどうでも良くて。誰かの「お世話に」もっと労いを。自分の「世話」の価値を、見つめよう。「お世話様」の精神、考え直しませんか?

 

参考図書

アダム・スミスの「国富論」と「道徳感情論」を読みやすく要約してくれている本です。とても面白いので、アダム・スミスへの入門としてオススメです。

「21世紀の資本」では、格差が生まれるメカニズムについて書かれています。挑戦してみたい方は、ぜひ読んでみてください。僕は読んでいません。笑

 

制作:ことばでブリコラージュ

提供:あたまのなかのユニバース

 




やてん

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