『鬼滅の刃』、人気の秘密は、喪失感・悲しみへの共感 にある?

なぜこれほどに人気が・・?

大人気で、興行収入が・・と、自ら動かなくとも、目に、耳に入ってくる『鬼滅の刃』。年末にアニメシリーズを観ました。今日(2021 1/8)は、映画も観てきました。進撃の巨人のアニメ放送のときも、その流行を肌で感じていましたが、あのときは3年ほど遅れてはまりました。今回は、Primeでもアニメが上がって見られるし、というアクセスのしやすさから、自分もやや遅ればせながら、波に乗らせていただきました。

 

見始めたら、一気に見てしまいました。とても良い作品だと感じていました。ところが、なんだか掴めずにいました。なぜそこまで良かったのか。事前に聞いていたのは、「家族愛が素晴らしい」とか「映像が綺麗」という話だったのですが、自分がハマった理由もそれなのか?・・いまいち釈然としません。今回は、進撃の巨人以来、久しぶりにアニメ(漫画)に関しての考えを書き留めます。

 

様々な「追い風」の要因

映像にフォーカスすると、『鬼滅の刃』を製作した会社(ufotable)は、他にも素晴らしい作品を残しています。代表的なのは『Fate』シリーズでしょうか。『鬼滅の刃』も、戦闘シーンの臨場感溢れるカメラワークと色使いは桁外れに素晴らしかったのですが、やはり、映像だけで人気にはなりません。『Fate』が『鬼滅の刃』ほど人気ではないからです。映像は、追い風になっても、流行の源泉にはなり得なさそうです。

 

ちなみに、音楽も同様で素晴らしいのですが、それは追い風だと感じます。『鬼滅の刃』や『Fate』で音楽を担当された梶浦さんの音楽が僕は大好きで、ライブにも行ったことがあるほどです。ですが、音楽で人気が取れる事に納得する視聴者はいないでしょう。音楽も、追い風です。

 

では、配信サービスが充実しているからか?僕がPrimeで観たのと同じように、テレビがなくても、スマートフォン、パソコンで見られる、というのは大きいと思います。ですが、今放送している他のアニメでなく、『鬼滅の刃』だけがこれほどまで人気になる理由にはなりません。やはり、追い風になっても源泉にはなり得ません。

 

愛情深さが、本当に人気の要因か

愛情深さへの感動は、確かに大きいです。炭治郎はじめ、様々なキャラクターの優しさから目頭が熱くなるシーンが多々あるからです。でも、この愛情深さを、ただ「愛情深さ」と捉えるところに、僕は違和感を感じます。

 

なぜなら、ただ暖かい愛情の表現よりも、人々の無念や悲しみに対する同情に、『鬼滅の刃』における愛情を感じるからです。つまり、『鬼滅の刃』で表現する愛情は、負の感情に対する反応が多いのです。そうすると、自分の心が動いた部分に、一つの筋が見え、いろいろ納得がいくのです。

 

鬼殺隊も、鬼も、負の感情を糧に戦っている

そもそも、主人公の炭治郎は、とても仲の良い家族に恵まれ、幸せな日々を送っていました。その幸せを鬼に奪われたのです。そして、生き残りはしたが鬼に変貌した妹の禰豆子を鬼に戻す方法を探すため、また鬼に襲われる人を救うため、鬼を殺す鬼殺隊に入隊し、任務をこなします。

 

例外(伊之助、善逸、カナヲ)はいこそすれ、鬼殺隊で名が通る人は怒りや悲しみを糧に、鍛錬を積み、鬼を滅殺しているようです。それは炭治郎も、同様ですが、炭治郎は、鬼に対しても同情します。そこが他の隊員との大きな違いであり、この作品が人気になった一つの理由だと思います。

 

鬼は「心の渇き」の象徴

鬼は、そのような種族がある訳ではなく、元は人間です。人間を鬼にする鬼(鬼舞辻無惨:きぶつじむざん)が、人に自身の血を与える事で、鬼を増やします。そして、強い鬼はすべからく、人間であったときに大きな悲しみや怒りなど、心の渇きを持っていた者です。この鬼の強さは、鬼殺隊において、隊員の実力がその人の怒りや使命感に比例する事にも似ていると感じます。

 

『鬼滅の刃』は、炭治郎と相対する鬼が人間だった頃の悲しい思い出を、炭治郎を通して読者・視聴者に見せます。そして、炭治郎が鬼に同情する事で、その愛情深さを読者・視聴者に感じさせ、感動させた作品なのだと思うのです。

 


本当のところ何に共感しているのか

ところで、炭治郎が鬼にも愛情深いことによって、なぜ読者・視聴者は感動するのでしょうか。僕はその理由を、読者・視聴者が鬼に共感するからだと考えます。つまり読者や視聴者は、自分を鬼と置き換えているのではないかと僕は考えます。

 

僕の場合、趣味とはいえ、こうして物書きをしている事もあり、響凱(きょうがい)という鬼にとても共感しました。おそらく、僕の中ではこの響凱の回が一番心に残っています。響凱は、人の時代に、小説(?)を書いていましたが、それを師に手ひどく否定されます。この否定の言葉は、僕の胸をも締め付けました。「君の文章は、全てにおいてゴミのようだ」「趣味の鼓(つづみ)でもやっていれば良い。それも教えられるほどじゃないんだろうがね。」そう言って、師は響凱の原稿を踏みつけにします。

 

・・・自分のことを言われているようで、このシーンには僕も非常に傷ついたことを覚えています。頑張った結果を踏みにじられる経験をした事がある人は、その痛みを響凱と重ねたのではないでしょうか。炭治郎が響凱と相対するとき、響凱がこれまでに書いていた原稿が床に散らかる場面がありますが、炭治郎は、その原稿を避けて足を床につけ、響凱は、それを見て驚きを感じます。

 

この一連のシーンは、炭治郎が人の思いを決して踏みにじらない事を表現しています。読者・視聴者も、響凱や他の鬼を自分の置かれた状況と心のどこかで重ね合わせいるのではないでしょうか。そして、その感情を認め、深く同情をしてくれる炭治郎に救われているのではないかと思うのです。このように、炭治郎は鬼の「心の渇き」を潤し、救ってゆきます。「心の渇き」への共感が、『鬼滅の刃』が人気になった一つ目の理由と考えます。

 

深く関わった人物の死だからこそ共感も深くなる

出番が多く炭治郎と接する機会が多いキャラほど、亡くなってゆく。これは、『鬼滅の刃』の人気を支える二つ目の特徴だと考えます。「主人公の周りのキャラクターは死なない」と、読者は他の漫画を読んだ経験を通して、無意識に思い込んでいます。ピンチには誰かが加勢に来ると期待していませんか?『鬼滅の刃』はその期待を裏切ります。

 

炭治郎と接する時間が長いキャラクターは、当然人物の背景も深く描かれ、読者・視聴者の心の中に残ってゆきます。そのキャラクターが死んでしまうとき、読者・視聴者は、炭治郎や他のキャラクターがその人を失う気持ちに、果てしない共感を覚えるのではないでしょうか。「まさか、なんでこの人が・・」そういう信じられないほどの喪失感をリアルに感じさせるのは、亡くなるのが深く知ったキャラクターだからです。

 

深い仲になった身近な人の死を、幾度となく読者に体験させる。また、他のキャラクターについても、「この人も死んでしまうのではないか・・」と常に死が身近である事を予想させる。つい不安になり、シーンを追いかけてしまう。その悲しみや恐ろしさが、読者・視聴者を物語にのめり込ませているのではないでしょうか。

 

決して諦めない心に勇気をもらう

もちろん、悲しいだけではありません。僕含め読者・視聴者は、彼らから勇気をもらっているとも考えます。炭治郎初め、主要キャラクターはとにかく我慢強く、忍耐強く、決して諦めません。刀が折れようとも、体を毒に犯されようとも、体に風穴を空けられようとも、とにかく生きる事と、使命への執念が強いです。

 

その諦めない精神を物語から感じ、きっと勇気をもらっているのではないかと思います。アニメ後半で炭治郎が十二鬼月「下弦の伍」と戦うシーンや、映画・無限列車編で煉獄が十二鬼月「上弦の参」と戦うシーンから、僕は諦めないことの大切さを再び教わったと感じますし、その姿勢に感動する人は僕以外にも多いのではないでしょうか。

 

まとめ

この記事では、『鬼滅の刃』が人気になった三つの主な理由を考えてみました。ここまで読んで、本記事で主張する理由に思い当たった方は、どれくらいみえるのでしょうか。アニメイトの調査によると、鬼のストーリーに共感する意見は多い印象を受けますし、あながち間違ってはいないと思います。

 

人の「人間的な弱さ」への共感、それを乗り越えてゆく「心の強さ」が、核となり、美しい映像、音楽と合わさり、配信サービスの充実、外出自粛による漫画・アニメへの関心の高まり等、環境に押され、『鬼滅の刃』は大人気作になったのだと、僕は結論づけます。




やてん

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