オシャレ・デザイン・無為転変 呪術廻戦を見て改めて思う、デザインの本質
毎週月曜日、Twitterが賑わっています。話題の人気漫画、呪術廻戦の感想ツイートです。この作品、考察要素が多分にあるようで、様々な解釈がネット上で飛び交っている漫画です。その状況は、最近本誌で連載を終えた進撃の巨人に近いものを感じます。
かくいう僕は、呪術廻戦をアニメ版しか見ていませんので、Twitterでの話題は、内容を見ようが、さっぱりついてゆけません。ストーリーの伏線回収という側面では、僕はまだ、呪術廻戦を楽しめていない人間ということです。そんな僕でも、アニメ版を見ていて、妙にひっかかるシーンがあったので、今回はその事について、つらつら書き残してゆこうと思います。
件のシーンは、真人(まひと)という名の呪霊が、呪術師の七海との戦闘中に、会話をするシーンです。
魂と肉体、どちらが先か?
真人は、七海に対して、こう投げかけます。
ねぇ、あんたはさ、魂と肉体、どっちが先だと思う?
(中略)
肉体に魂が宿るのかな?魂に肉体が肉付けされるのかな?
すると七海は「前者」と答えました。ここでは、僕も七海に同じく、前者を選びました。真人のいう「魂」が何なのかわかりませんが、人の感情・思考が、遺伝子と脳に支配されていると考えれば、魂は肉体を先に必要とするだろう、と考えたからです。
ところが、真人は意外にもそれを否定します。
ぶっぶー、答えは後者。いつだって魂は、肉体の先にある。肉体の形は、魂の形に引っ張られる。
ほおお・・思わず感動しました。
あながち、真人を真っ向から否定できない。真人は別のシーンで、「俺はこの世で唯一、魂の形状を知覚している」と話していました。もしかしたら、僕らが「脳」とか「遺伝子」とか呼ぶものの、さらに奥に、何かを見出している可能性があり、それが「魂」なのかもしれない。
そして、「肉体の形が魂の形に引っ張れる」についても、「案外そうかも」と同意せざるをえませんでした。
男は40代になったら自分の顔に責任を持て
大学生の頃、研究室の教授から、こんなことを言われたことがありました。曰く「男は40代になったら自分の顔に責任を持て」と。その内訳は、その人の日々の過ごし方が、40代になると顔に現れる、ということだそうです。
たしかに、40近くの人の顔を見ると、その人がどれくらい笑い飛ばしてきたのかが、なんとなくわかります。広角とか、目尻とか。しわとか。老齢な方なら、なおいっそうこれがわかります。
これが、真人のいう「肉体は魂の形に引っ張れる」なのかも、と大学時代を思い出しました。
似合うとは?
もう一つ、真人の意見に同意せざるを得ない実例を僕は既に持っていました。ファッションです。僕は、「オシャレかどうか」には、必然性が重要だ、と常に考えてきました。この必然性は、さらに ①ときと場合の必然性、②その人の必然性 に分けられます。その人がオシャレかどうかは、これを適したバランスで表現することに尽きるということです。裏を返すと、オシャレに「好み」は無関係だとさえ考えています。
特に今回の真人の意見と関係するのは、②その人の必然性 でしょう。言い換えれば、「その人らしさ」です。らしくない格好をしている人を、僕らははなんとなく知覚しており、「オシャレな人」と「オシャレに見られたい人」がいるな、と直感的に理解してもいます。これは、下の図で説明できます。
オシャレな人は、オシャレだと思われたいかどうかの意識に関係なく、「必然性(その人らしさ)」を追求していると考えます。一方、「オシャレだと見せたい事はつたわってくる人」は、オシャレだと思われたい「意識」は高い一方、「必然性」は低い(=その人らしくない)のです。結果、パーソナリティと外見の間に歪みが生じ、「なんかダサい」という言葉に変換されてゆくのです。
この「必然性✕意識マトリクス」も、その人の「魂=らしさ」から、その人の外見がつくられる事、それから外れると、歪みが生じる事、つまり、真人説を支持していると考えられます。
無為転変はとは何か?それは可能か?
そういう話になってくると、真人の呪いである「無為転変」は現実に存在するのか?という疑問が湧き起こってきます。そして、仮にあるのであれば、現実世界における「無為転変」って、なんなんだ、という。
ちなみに呪術廻戦をご存知でない方向けに説明しておくと、無為転変とは、真人が扱う呪いの事で、真人が触れたものの魂の形状を変化させることで、その肉体の形状を操るものです。普通の人間なら、その形状の変化が急激なせいで、死んでしまいます。
話を戻すと、無為転変が現実に起こるとすると、日々の習慣を変えることで顔つきを凛々しくしたりできる。また、「その人らしさ」を変えることで、その人に似合う服も変えてしまう、ということでしょう。
僕の考えでは、無為転変は現実に可能であると考えます。なぜなら、その実例を知っているからです。
現実に存在する無為転変
僕は、無為転変を現実にいくつか見たことがあります。それは「ハリアー」と「櫻坂46」です。ハリアーは、トヨタ社が販売するSUVです。櫻坂46は、元欅坂46でそれから改名した、アイドルグループです。
まずハリアーです。ハリアーのデザインは最近リニューアルされ、これまでその象徴であった鷹エンブレムも廃止されました。そして、スポーティさよりもエレガンスさにデザインを振り向けられ、大人な車に変わりました。おそらく、①SUV市場での競争が激しくなっていった中で、SUVのラインナップを顧客に合わせて見直す必要があった事、②若者向けに、新たにCH-R、ライズ、YARISなどカジュアルなSUVを開発したこと、③現行のハリアーが以前のハリアー好きから次第に敬遠されていったこと(若さがイメージとして浸透したため)があり、これまでのハリアーのイメージを一新したかったのだと考えます。
これは実際成功していると言えそうです。僕は少なくとも、「大人っぽい車になったなぁ」と感じましたし、これに近い意見は周りでも聞きます。「ハリアーらしさ」という「魂(ここではコンセプトとでもいうのか)」を変え、それをデザインで表現するという無為転変が成功したと言えるのではないでしょうか。
もう一つが、櫻坂46です。欅坂46だった頃、彼女らについていたイメージは「反骨・反抗」「暗い」などでしたが、そのイメージを一新し、明るいグループに生まれ変わりました。欅坂の頃は、「欅坂らしさ」に引っ張られて、明るい面が引き出せずにいましたが、グループの核を「櫻坂らしさ=明るくいこう」という魂に変えたことによって、メンバーの明るい面がよく現れるようになったと感じます。もちろん、こちらも今の櫻坂を知るファンたちで総意が取れるでしょう。
「らしさ」の知覚と「らしさ」の変形
真人と七海の戦闘シーンからはじまり、ずいぶん遠くへ思考を泳がせたような気がします。そろそろ出発点に戻りましょう。この記事では、魂と肉体の関係について考え、無為転変の実在を(少なくとも僕は)再発見した、という軌跡をつらつら書いてきました。この思考の軌跡をたどり、改めて真人の質問に答えますと、「後者(魂が先)」となるでしょう。
今回の旅路で感じたことを三つまとめて、筆を置くことにします。
一つ、思考を漂わせている中で、以前よりも具体的な輪郭を持つようになった考えを書いておくと、「デザインは、魂(コンセプト)に対する肉体である」ということです。
二つ、無為転変は、
①現行デザインの「魂(=らしさ)」を知覚、
②「新たな魂(=らしさ・コンセプト)」をイメージ、
③様々なデザインの理論を駆使して、目標のイメージへ近づける
の3ステップにあるようだ、ということ。
三つ、以上3つのステップをそれぞれ鍛えてゆけば、「自分はいずれ、無為転変を使えるようになるのではないか」という事です。
制作:メディアに学ぶ
提供:あたまのなかのユニバース