「シンプル・イズ・ベスト」は誤解を生む。簡潔と複雑
フェルマーの最終定理は実に簡単なことを聞いている
フェルマーの最終定理をご存知でしょうか。「3以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z)は存在しない」というものです。n=2の場合は、ご存知、三平方の定理で成り立つ組み合わせがあります。(x, y, z) =(3,4,5)などです。
このフェルマーの最終定理は、数学者フェルマーが予想してから200年以上証明されず、最近になってようやく証明されたものです。その証明には、予想された当時の数学でなく、現代まで発展してきた数学をフル活用したというのです。よって当時のフェルマーの証明には穴があったと考えられているようです。
話が逸れました。重要なのは、この超シンプルで、中学生でも数式の意味がわかるようなものの証明に200年以上かかったということです。それほどに、実際は複雑難解だったということです。
世の中には、「シンプル・イズ・ベスト」を語る人たちがいますが、フェルマーの最終定理にあるように、その中身には非常に複雑な理論があるように思います。今日は、「シンプルイズベスト」の奥にある複雑さと、複雑さを理解しない事によって生まれる誤差に関して考えようと思います。
「つまり」、「要するに」は「シンプル・イズ・ベスト」の代表例
会話や文章の中で、「つまり」や「要するに」を見聞きしたことはあると思います。この言葉は、なんやかんや色々言葉を語った後につく言葉です。
「要するに、パラシュートってのは、愛で開く(宇宙兄弟より、ピコ・ノートンのセリフ)」といきなり言われて、なるほど、とは思いません。これらは、戦場へ出向く男へ、母親や恋人や妻がせめてもの思いでパラシュートを折っていた、という背景があるということを話してからの要約です。
「要するに」と話す場合、その前段階として、それが具体的にどういう意味を持つのかを話している必要があります。しかし、「〇〇とは要するに△△」と話を始め、その後に何も続かないような話をしてしまうと、話し手はわかりやすく話せており、聞き手も簡潔さのおかげでわかったつもりになったりしてしまうことがあります。これが、誤差を生むと感じます。
重要なのは誤差を減らす「コミュニケーション」である
具体的な例の紹介として、僕が最近聞いた「要するに」のなかでもとびきり気に食わないものが二つのネタをお話しします。「ブルーオーシャンは要するにニッチ」と、「要するに、プロダクトアウト的なマーケットインが重要」です。これらは明らかに中身が伴わない空虚な「要するに」でした。
まず、前者に関しては、元になった論文を読めば「ブルーオーシャンとはニッチではない」と明言されています。さらっと上澄みだけをさらってもこの言葉が出てくるのが疑問でした。そもそも、ブルーオーシャンがニッチ(狭いという意味)なら、広大なイメージを持つ「オーシャン」を言葉として用いるはずがないのです。ブルーオーシャンの本質は「最適化」であって、「ニッチ」ではないと僕は考えます。僕がブルーオーシャンを最適化と要約する理由は、また後日記事でまとめますので、今の所「要するに」だけで留めるか、先に本を読んで納得してもらえたらと思います。
後者に関しては、そもそも「マーケットイン or プロダクトアウト」の二分法が時代に関わらずマーケティングの要点を得ていないと感じますし、プロダクトアウトとマーケットインの定義すら曖昧でした。この二分法は意味のある分解ではなかったのです。聞きづての内容らしいですが、おそらくもともとこれを話した人が、どんな意図で話したかを理解せずに、表面だけ掬って広めているのだろうと思います。何にせよ、この話の要約と詳細に関して元を辿った方に話を聞いても、僕はこの要約が最適だとは思わないと思いますが。
というように、皆さんの中でも、「ん?今の話の要約がそれになるのか?」と思ったりするとことがあると思いますが、そういうコミュニケーションを続けると、分かり合う姿勢はあっても、互いの考えていることのズレは広がっていく一方です。
前の記事でお話ししているように、人は分かり合えないものです。人は皆、それぞれの環境から異なる情報を得て成長してきているからです。「ブルーオーシャン」という言葉のイメージが、人によって違うように。ですが、分かり合えないから何もしないのであありません。その分かり合えない部分をより小さくしてゆくことこそが、「コミュニケーション」だと僕は思います。
そのためには、他の人が要約で話始めたとき、「例えば?」「詳しく教えて」「どう言う意味?」と聞いたり、その詳細に関しても、その人がどういう意味でその言葉を使うのか詳しく聞いてみたりすることで、互いのズレと、その大きさを意識することが大切だと感じます。また、他人だけでなく、自分に向けても、ふと感じたことに「なぜそう思ったのか」と問いかけることも大切だと思います。
人々の話す「フェルマーの最終定理」=要約を、理解できるようになってゆきたい
最後に、結びです。要約には、その要約を生んだ詳細な解説があるはずです。要約とは、フェルマーの最終定理の条件と式のことです。だから、「シンプル・イズ・ベスト」です。しかし、それだけでは足りません。シンプル・イズ・ベストは、その詳細な解説(つまり、証明)とセットで初めて強力な「要約」と言う武器になるのです。
逆に言えば、要約の部分しか言わない人は、「証明できないけど、フェルマーの最終定理は成り立つんだぜ」と言っているだけの人です。もしそう言うことばかりを言う人が近くにいたら、気をつけなければいけないと思います。
また、自分が要約だけを話していないかも、ちゃんと俯瞰して見てみる必要があると思います。「シンプル・イズ・ベスト」は、誤解を生むので、ちゃんと、その中身で起こる物事の複雑な関係性にまで目を向けられるようになりたいと、思います。
制作:ことばでブリコラージュ
提供:あたまのなかのユニバース