ファルコの役目とは?国は正論で滅ぶ?進撃の巨人27巻感想
こんにちは、進撃の巨人に関しての記事は久しぶりです。最近は以前の記事でも取り上げた薙刀の漫画「あさひなぐ」にハマっておりまして、あまり進撃の巨人は読んでいませんでした。進撃の巨人の記事は、新刊発行ペースの4ヶ月毎に更新してゆく形になる気がします。
4か月ごとに自分の記事の質が変わって改善が見られればいいなと思います。ファルコとサヨナラの意味の関係性に関して書いた26巻の記事は、検索が難しいような気がする一方、定期的な閲覧があって、結構嬉しいです。でも、今回はあれを超える記事か・・と思うとプレッシャーを勝手に感じるくらい、自分でも気に入っていて、愛情を注いでいる記事だったりします。乗り越えられるかな..。
今回の記事では、25巻の感想からずっと注目し続けているファルコの役割と、もう一つ別のトピックについて感想をまとめます。
- 「ファルコの役割」
- 「国は正論で滅ぶ」
さて、まずはずっとまとめ続けている、ファルコに関してです。
ファルコは常に中立的な立場にいる異様なキャラクター
進撃の巨人のキャラクターは基本的には何かに敵対心を持っています。エレン周辺の仲間には、23巻あたりから少々そうでもないキャラクターが現れてきましたが(ミカサ、アルミンなど)、基本的には、マーレか、世界か、それとも、エルディアかに、敵意を向けています。
特にマーレ側のガビは、本当に物語初期のエレンにそっくりです。敵意しかない。敵意で生きている。これは、エレンも「知らないのだから仕方がないこと」と言っていますが、そんなガビが隣にいながらも、常に中立的な立場にいるのがファルコなのです。マーレ側でエルディアへ好意を持つ人間はほとんどいない中、ファルコの考え方は、異様です。
これは、25巻でエレンがファルコへ語りかけた「海の向こうも壁の中も同じなんだ」との言葉が影響しています。たかがワンシーンで起こった心境の変化が数巻に渡って描かれるのは、もう何らかの役割があるとしか思えない、今日この頃です。
また、カヤはガビ、ファルコがマーレの人間なのに、敵意を向けていないのがこのシーンのもう一つのポイントです。
こういうシーンがあっても、なかなかガビの心境はファルコのようには変わらないのは、今後を知っている身としては悲しいところです。27巻〜28巻は、おそらく波乱と言うのか、コマに表れていない思惑がぶつかりまくって、僕含め読者が先を読めない展開が続くと思われます。
ただ、展開を読めはしないものの、このシーンでも目立つファルコの「ある意味異様な」価値観が、今後の展開の鍵になってゆくのではないかなと思っていますし、前回の記事で述べたように、僕はこのファルコの価値観に期待しています。
以上、「ファルコの役割」でした。では、もう一つはこのシーンです。
妙に引っかかったセリフ「国は正論で滅ぶ」
このシーンです。地味かもしれません笑
この言葉が妙に引っかかると言うことは、心当たりがあると言うことですが笑 僕は、会社に関してこれと同じことを考えていました。
「人のため、お客様のため・・」と、本心では思ってもいないことを大義名分に掲げ、利益率ばかりに執着したように見える経営者や上司に猜疑心を抱く方はたくさんみえると思います。僕もそうです。自分の仕事は営業でしたが、自分が売り込むものは、本当にお客さんの課題を解消するのに役に立つのか?と、疑問に持ち、苦しみました。
そんな感情を持つ人が会社にいれば、あるいは、そんな思想が組織内に伝染すれば、マイナスの感情は一気に広がり、会社は内側から崩壊してゆくのだと思います。歴史学者のなかに「国家が滅ぶのは退旆によってのみ(国は、国を信じる者がいなくなったときに初めて滅ぶ)」と言った方がみえるそうですが、それと全く同じです。ワンピースにも似たような言葉がありますね。Dr.ヒルルクの「人は、人に忘れられたときに死ぬ」というです。ヒルルクからすれば、人も国も同じということですね。
僕の考えはこのシーンでナイルが話した「正論」なのだと思います。そして、正論は組織を滅ぼし得るということもよく似ていると、同時に考えました(僕は別に組織を滅ぼしていません。会社をやめはしましたが。)。
この「正論が国を滅ぼす」は、実は昨日の記事で書いた「原発がまだ稼働している意味」にも似ていると思っています。福島の沿岸に行けば、誰もが原発を止めようと思うはずなのです。一方、原発はまだ稼働しています。単に発電量的(電気のようなインフラは、価格も抑えながら莫大な需要量を満たさなければならない。)なものか、政治的なものか、他の事情かはわかりませんが、何か力が働いているのです。
ちなみに、進撃の巨人の中では、得体の知れない「エレン」「ジーク」「イェレナ」が、原発によく似ています。エレンは、今や三つの巨人の力を体内に宿し、多彩な力を持つ人間です。扱いきれない上に、仲間にいなければ困るという難しい役割を担っているのです。5巻で、「エレンを処刑すべき」とナイルが述べた際、ナイルは「彼は高度に政治的な存在になりすぎた」とも言っていました。現在は、さらに高度です。故に、誰も、何もエレンには言えない。政治的な力は、社会的動物である人間の中では「巨人の力」同様、超強力な力なのです。
この「政治的な力」が、進撃の巨人を現在難しくしている原因です。自国の救世主とも取れる(ほぼ単独でマーレにダメージを与えた)エレンを獄内に閉じ込めている兵団のハンジ達には、民間人にも敵が増えてしまいます。
また、民間にエレンを閉じ込めていることをリークしたのも、仲間達であり、一体何が敵なのか、わからなくなってきています。内側で意思が乱れるのは、先ほど述べた「組織が壊れることで、会社が潰れる」のと似たものを感じます。どこかローグのセリフがこの現状を物語っているとも感じ、嫌な予感が走りました。「正論」と「現実」は違うことが多々あるということなんだと思います。
嫌なシーンの連続ですが、含蓄があるシーンでもあると思いました。以前の記事で述べた「一人一人の選択が世界を変えた」ような終わりがあると良いな、と思い、それはファルコが鍵なのかな?とも予想しつつ、今後も辛い場面に我慢しながら、一方気づかされながら、進撃の巨人を読んでゆきたいと思います。
以上、進撃の巨人27巻の感想でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。