自分らしさ・個性とは、リストで表されるのか?

「自分らしさ」とは何か。誰しも一度は考えたことがあるかもしれません。

 

就職活動や、転職など、たくさんの応募者の中から自分が選ばれたいとき、様々な項目に自分の特徴を当てはめて、「これが自分らしさなのか?」と釈然としなかったり。「誰とも違う私でいられているのか?」と不安を覚えたり。

 

そんな悩みを抱えている人、抱えたことがある人に、ひとつの提案をできたら、と思います。

 

まずは、自分らしさを考えるうえで、よく挙がる検討項目について確認してゆきます。そして、後半では、その検討をもとに、どのように自分らしさを考えてゆけば良いかについて、考えてゆきます。

 

「好き嫌い」と「自分らしさ・個性」

「自分らしさ」について考える際に、一番はじめに検討したいことは、これではないかと感じます。

 

好き嫌いで言うなら、

 

自分は、

  • 読書が好き
  • イタリア料理が好き
  • イラストを描くことが好き
  • 経済学が好き
  • 言葉について考えることが好き
  • ハンドボールが好き
  • 走るのが好き

とか。この好き嫌いの良いところは、自分の中での比較・検討の結果で導き出せるところです。主観的であってよい、とも言いかえられます。

 

例えば、僕の友人にうどんが好きな人がいますが、職場でその話をすると、「じゃあ讃岐うどんを食べたことがあるの?」とか「香川に言ったことがあるの?」とか言われ、「自分がうどん好きじゃないんじゃないかと思わされた」と話していました。

 

僕の考えからすると、友人の同僚は、友人に的外れな質問をしたと言えます。上の質問は、実は、「うどんについて詳しいか」という得手不得手の尺度から導かれた質問であり、好き嫌いの尺度からくる質問ではないと考えます。友人の中ではうどんが好きなのだから、紛れもなく、友人はうどんが好きな人なのです。

 

しかし、主観的でもよい「好き嫌い」を「自分らしさ・個性」と捉えてしまうのは、どうにも不安定な気がしますよね・・。そこで、次の検討項目である、得手不得手(強み・弱みとも呼ばれる)についても考えてみます。

 

「得手不得手」と「自分らしさ・個性」

「好き嫌い」とは一転し、「得手不得手」については、他人からの評価が重要です。

 

(誰かと比べて)彼は、考えることが得意である。とか。

 

先の友人の例で言うと、僕は彼がボードゲームで負けているところを自分の目ではあまり見たことがないです。基本的に僕は負け越していますし、友人の中でも強かった印象があり、その友人を、「ボードゲームが(周囲と比べて)得意なやつ」と思っています。

 

主観ではなく人からも認識されれば、だいぶ安定した「自分らしさ・個性」になりそうだ、と思えそうです。が、実は、これにも不安がつきまといます。例えば、その友人は、「ボードゲーム強いと思っていたのに、姉には負ける」と言うのです。

 

つまり、得手不得手の世界は、自分よりも上手な人が現れてくると、途端に自分が小さく思えてしまう概念なのです。これは、好き嫌いとは別の意味で不安定ですよね。

 

就職活動のような、全国、場合によっては世界から人が流れてくる戦いにおいて、井の中で「得手不得手」を表明しても・・と不安になります。もちろん、それでもぶつかってゆくしかないのですけど。

 

であれば、好き嫌いというパーソナリティを、得手不得手というテクニックにかけあわせて、自分らしさ・個性を表現するのはどうでしょう。それなら、自分がだいぶ人と違っていられそうです。

 

・・・ところが、「自分らしさ・個性」について悩むような人にとっては、ただ違っているだけでは意味がないというのが、本当のところだと考えます。

 

なぜなら、選ばれたいから。そしてその結果、なにかしらのグループに属したいから。

 

 

「選ばれたい」がための、「自分らしさ・個性」?

結局、「自分らしさ・個性」を気にする人の多くは、なにかに選ばれ、属するためにそれについて考えているのです。そのためには、好き嫌いでさえ、選ばれるために、得手不得手に変換して考えなければならない。選ばれるために「うどんが好きで」、とアピールするなら、それは「他の人よりもうどんに詳しくて」という意味で語らなければならなくなるのです。

 

つまり、なにかに選ばれたくて「好き嫌いは・・」「得手不得手は・・」と考える人にとっては、「自分らしさ・個性」ですら、選ばれ、所属するための手段として考えらてしまいます。

 

しかし一方で、何かに属そうとすると、その中で新たな優劣が育まれるとも書きました。

 

例えば、社会的に有名な企業に入社し、属することができたとします。ところがその企業の中では、それまで自分が評価を受けてきたものは平凡で、それ以上の水準が求められます。結果、自分は同僚との戦いに敗北し、せっかく入った企業内で求められる人間になれません(所属できません)でした・・・

 

会社の外では褒められるのだけど、実際に所属しているグループ内では自分は大した人間ではない、との認識が、歪んだ自己認識を作り上げてゆきそうです。これは、名のあるグループに属したことがない僕には経験しがたい話なので、あくまで観察の結果、想像したことですがね。

 

となれば、この世界観で自分らしさ・個性を考えてゆくと、「自分らしさ・個性」とは真逆の、「自分は誰かの代わりになりうるもの」という考え方が生まれてきそうです。

 

「自分らしさ・個性」とは、こんなに窮屈な話なのでしょうか。そもそも、誰かと競うための武器だったのでしょうか。なにかにとっての手段になってしまうものでしょうか。

 

僕は、そうではないと感じます。

 

自分らしさ・個性とはなにか。

僕は現段階では、「自分らしさ・個性」を、その人の「視点」だと考えます。つまり、その人特有の物事の捉え方です。

 

よくある話が、コップに半分の水が入っていることについて、「半分も入っている」と判断するか「半分しか入っていない」と判断するかについてです。

 

これは、人からの賛否にも置き換えられると思います。10人いて、5人に賛成されたけど、5人に否定された。これをどう捉えるかは、その人次第です。

 

これを様々なものについても考えてみます。

 

僕は、仕事で10分強休憩を取るときでさえ、一人で休むときは本を読みます。それを人が見ると、「そんな短時間でも本読みたいのね」と思う人が多く、それゆえに、僕の周囲では、「本を読んでいる=僕らしい」となりつつあります。

 

また、これをさらに詳しく捉えてゆくと、僕は基本、午前の読書と午後の読書では役割を変えています。午前の読書は、考える読書であり、午後の読書は、思い出す、気がつく読書です。時間帯によって、本から感じることが違うと感じているので、それに合わせて、時間帯で読み方を変えています。午前は、はじめて読む本を読む時間、そして、午後は、再読、パラパラ読みにあてる、などです。

 

この読書の「やり方」、つまり「読書に対する捉え方」は、他の人から聞かれることもないですから知られていませんが、自分では、紛れもなく「僕らしさ」だと考えています。

 

というように、何が好きか、何が得意か、という、領域で分類する、あるいは容易にリスト化できてしまうような項目で「自分らしさ・個性」を捉えようとするのではなく、「自分は世界に対してどのように反応するのか」という「視点=捉え方」にこそ、「自分らしさ・個性」は宿るのではないでしょうか。

 

自分らしさ・個性は、無意識と意識の間にある

この考え方は、就職などについても説明できると思っています。どこ出身とか、スキルも重要視されるとは言え、面接官が最も知りたいのは、「この人はどんな風に目の前のことを捉えて、行動してきたか」という「人間性」のはずです。

 

面接では、いくつかのチェック項目があり、おそらくそれで応募者の採否を決めているはずですが、その項目は、「〇〇ができる」というものもあれば、「〇〇に対して〇〇という風に捉えられる」という項目もあるはずです。

 

「視点=捉え方」は、それ自体を説明することが難しいです。視点とは、思考や行動の背景にある前提ですから、自身の経験を思い出して、その中で、自分がどんな物事の捉え方・取り組み方をしたのか・する傾向にあるのか。

 

それを知ることこそが、「自分らしさ・個性」を見つけるきっかけになるのではないでしょうか。具体的なエピソードを例示するのが重要と言われるのは、このためだと感じます。

 

そう思うと、「自分らしさ・個性」とは、無意識的にやってしまうことにこそ宿っていそうです。なんだかこういうこと考えちゃう。こういう風に物事を見がち。これは、半ば無意識に思いつくアイデアであって、意識してやっていることではないのです。

 

では無意識のような、僕らが意識してできることが何もないようなところにしか、「自分らしさ・個性」は存在しないのかといえば、そうではなく、おそらく、無意識は、日々の意識からもつくられるため、「自分らしさ・個性」とは、日々の意識からも生まれるのではないでしょうか。

 

無意識からくる視点・ひらめき・アイデアをつくるのは、日々の意識と無意識の両方のはずです。だから、日々、何かを意識をすることでも、僕らは「僕ららしさ」を育むことができるのです。決して勝手にできあがるものでもなく、自分から作り上げてゆくこともできるものだと考えます。

 

「自分らしさ・個性」は、きっと、意識と無意識の間で作られるものなのです。

 

おわりに:「自分らしさ=個性」はチェックリストでは表されない

今回は「自分らしさ=個性」について考えてみました。

 

適職はなにか、とか、「自分に適した」ものにこだわりたくなる現代では、避けては通れない問題のように思います。

 

一方、それを見つけ出すには、かんたんなカテゴリーでは不可能で、もっと複雑なものに目を向けなければいけないのではないか。

 

かんたんな、チェックリストで自分らしさを表現すると、待ち構えているのは、周囲との飽くなき競争です。その中で敗れれば、自分らしさとはいったい何だったのか、と打ちひしがれることになります。

 

そうならないためには、少し面倒でも、「自分らしさ=個性」を、「視点=捉え方」として捉え、自分の思考や行動を観察し、それを言葉に起こしてゆくことが重要なのではないでしょうか。

 

そうした中で生み出される、複雑なものだからこそ、他の人とは違う、「自分らしさ=個性」になりうるのではないかと、考えます。

 

何をするか・できるかだけでなく、「どう思うのか」「どうやるのか」。これに目を向けて日々生活することが、自分も他人も認めるような「自分らしさ=個性」に出会うきっかけになるのではないでしょうか。

やてん

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