電力自由化から見る経済学の欠点

今回は、電力会社と新電力について、実体験をもとに考えてゆきます。

 

電力の契約移行を勧められる

先日、電力自由化に伴って・・という紹介業者がやってきました。月々の電気料金が今よりも安くできるので、その新電力に契約を変えませんか?と言うお話でした。電力の自由化も、安くできる事も聞いていましたが、新電力の供給先を探すの面倒だったので東電と契約していました。

 

わざわざ人が訪問してまで、今より安い電力を勧めてくるには、それなりの意味があるはず、と思い、契約の移行を勧めてくれているその人に、ちょっとお話を聞いてみました。どうやら彼(男性だった)は、仲介業者であって、新電力会社の人間ではないとのこと。

 

さらに謎が深まりました。仲介業者を使ってまで電力の自由化を勧めたいのかと。気になるので、もう少し進めて聞いてみますと、どうやら契約の変更には事務手数料が発生するとのこと。なるほど、仲介業は手数料で稼いでいるのか。しかし、その手数料を仲介に払ってまで電力の契約を消費者に勧める電力会社ってなんなんだ?と疑問が浮かんできます。

 

新電力は業者がたくさんあっても全然使われていない

そこで、仲介業の方に「新電力は調べてもわかりにくくないですか?」と探りを入れると、たくさん業者が現れすぎて、それでも需要が大手から流れず、飽和状態なのだそう。つまり多数乱立しているせいで契約数が少なすぎるから、そこは人海戦術を使ってまで契約を東電から持ってこようとしているようです。今の段階でも新電力の利用シェアはだいたい10%いかないくらいみたいです。

 

すると不思議なのは、発電所の数が増えている実感がないところですが、新電力の会社は全てが電気を発電しているわけではなく、いろんなところから電気を買ってきて、それを横流しすることもできるようです。今までは電力会社しか供給ができなかったから、巨大な発電所で自家発電された電気を、発電所の維持費を加味した価格で売っていたが、新電力はその固定費がかからないから安いのだそう。

 

しかし、誰でもできるところにはたくさんの人がやってくるもの。同じように電気の流通業をやろうと思うところがたくさん出てきて、乱立し、結局人件費かけて、仲介業者までが生まれて・・と今に至るようです。手数料とかあっても、仲介業者を使うのは大変だろうと思います。かろうじてプラス、とかそんなものではないでしょうか。

 

「電力の自由化」という規制緩和で、知らないところでたくさんの新しい事業が生まれ、労働の移動も起こるんだと気がつきました。既存の(今回は電力)のルールが変わるところには、人が集まってくるといういい例に出会えたなと思います。また、新電力への契約更新の推移は全然伸びていないと言う話もあったのですが、結局自由化に飛びついた事業所はたくさんあれど、自分含め消費者は皆面倒くさがりで、その消費者達を動かすには結局営業が必要のようで、なんやかんや、規制緩和は社会全体で得なのかどうなのかわからないなと思いました。

 

・・で終わっては面白くはないので、もう少し考えてみました。とりあえず電力の自由化について調べましたが、日本は後発的で、アメリカ、EUなどの先進国は既に自由化に乗り出しているようでした。

 

で、価格の減少幅をみてみると・・なんと、自由化をしても増えてしまっているのです。意味ないじゃん・・。なぜ自由化をしているのにも関わらず、電気料金の値段が上がってしまっているのか。これには、自由化に対する「誤った前提」があると思います。

 

新電力がうまくいかない理由は「自由競争」の原理の嘘にある

そもそも、電力供給の自由化はどうして価格を安くするかと言うところなのですが、本来、複数の供給業者が乱立する業界では、競争が起こります。その競争の中では、各社はコストをいかに下げるか、などの研究開発やプロセスの改善・最適化を行い、安く提供しなければシェアを他社に奪われる状態にあります。

 

しかし、安いからといって電気の供給をすぐに変えてもらえると言うのは甘えで、消費者は電力の契約の更新を面倒くさがりますので、主体的には変えようとはしません。そもそも国で管理していた業態なので、東電など老舗のネームバリューが大きすぎると言うこともあり、電気の自由競争と言うイメージも湧きません。

 

一方で、自由化などを決めるお偉いさんが、それがうまくいくかどうかを決める際に用いるのは経済学の需要、供給曲線ですが、経済学で言う「自由競争」とは、人間が全て決まったシステムで動いている必要があるのです。人は全く同じ商品・サービスが安いならそっちに勝手に移動してゆくと言う、超機械的な行動を前提にしているのです。

 

近年それに対して、人間の心理面も融合した経済学に関する研究が多く発表されてきています。「行動経済学」と言いますが、こう言う契約が必要だったり、新参者が得体の知れないような業界に関しては特に機械的・古典的な経済学よりも、行動経済学で考えてゆくべきなのだろうと思います。「〇〇バイアス」と言う言葉が経済学で使われている場合、それが行動経済学です。

 

さらに言うなら、電力会社を変えるのにコスト(事務手数料)が必要で、契約期間があり、期間中の解約は違約金が発生するとまで言われると、もはや安くなるのかどうなのかわかりません。数パーセント安くなると言われましたが、事務手数料分以上安くなる保証はどこにもなく、結局僕もその場では契約はお断りしました。



電力送電網の使用料と仲介業者のコスト

もう一つ、自由化と言いつつ自由競争が行われない理由があると感じます。それは、「送電網の独占」です。電力の供給をイメージすると、下のようになります。現在自由化されたのは、「発電部門」と「小売部門」ですが、送電網に関しては、停電時の保守等の責任から、未だに国が認めた電力会社に管理をさせているとのこと。つまりは東電や中電、関電などです。

資源・エネルギー庁(http://www.enecho.meti.go.jp/category/electricity_and_gas/electric/electricity_liberalization/supply/

 

これらが送電網を独占すると、送電網を使用することにより、電力会社は使用料を求められます。この利用コストが、新電力が消費者にインパクトを与える程には安くはできない現象に繋がっていると思われます。

 

自由化と言いつつ、送電網の利用コストを使うために、新電力会社にも固定費用がかかります。新電力には発電所を持たないところもあるような話で、固定費がかからないのはいいね、なんてさっき言いつつも、なんやかんやコストがかかるため、一定以上の価格水準になり、「自由化といってもそこまで安くはなっていないじゃん」と言うイメージがついてしまいます。これで契約の更新料がかかるなら、別に契約変えなくてもいいやというのが人間の心理ですから、結局新電力の参入による自由市場は形成されないのだと思います。

 

また、規模の経済を活かした経済面での効率性でも大手の力は尋常ではありません。規模の経済というのは、大量に生産することによって、その生産に対する知識の蓄積や生産の効率化が可能になり、業務のコストカットが可能になる効果のことです。大手スーパーマーケットなどは、大量仕入れを利用して価格の交渉を行なっていたりもしますが、あれもそうです。なんやかんやで電気の業界は規模が他よりも重要な要因のようです。

 

 

新電力は、契約数の拡大のためにただでさえ仲介業者まで利用しているくらいですから、コスト面で大手の効率性を超えることなんてままならないと考えられます。そんな圧倒的な力関係もあって、電力の自由化には到達しないのでしょう。実際、海外では自由化を行なったのにも関わらず、結局大手に富が集中している状態のようです。

 

経済学を元に考える「自由競争」はあり得ないのかもしれない

新電力の勧誘から、なんやかんやで色々考えてしまいました。結局資源(モノ情報)の要因が大きく働いてしまう業界は新規参入も難しいのだと感じました。特に大きいのは送電網の独占ですが、もはや大手電力会社のアマゾン化ではありませんか。このまま続けても価格で勝てるわけがない笑

 

この前読んだジョブ理論の内容と一緒に考えると、これは当たり前な気がします。僕らが電気代を安くすることに、どこまでのメリットを感じるか。電気代を安くすることで叶えたいことは何か?と言うことまで考えられていないと、メリットなど感じられないのだと思います。

 

ただ経済モデルだけを考えて自由化を理論的に行おうとしても、人の感情は邪魔をします。今の契約を変えて、事務手数料も払ってまで意味のある自由化が行えないのであれば、まだまだ電気業界は寡占市場が続く気がします。

 

古典的な経済学を元に考える「自由化」には、ロクな未来がなさそうだなと思います。

 

(画像:https://www.softbank.jp/energy/special/shizen-denki/column/vol-002/)

 

制作:ゆるリサーチ

提供:あたまのなかのユニバース

 

 




やてん

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