地元の住みやすさと、スマートフォンと、プラットフォームと

地元に戻り、二日が経とうとしています。昨日は大学時代のバイト先の先輩に当たる人と居酒屋へ飲みに行っていました。なんでも、鹿児島へ転居・転職して、結婚されるそうです。その報告があり、新年早々めでたい話が聞けて幸せな気分です。

 

その先輩と他にもう二人先輩がいまして、僕ら4人は都合が合えばよく飲みに行くグループなのですが、独身が僕だけになりつつあるようです。僕は一番年下ではありますが、それでもいくつも変わらない人たちが結婚してゆく様を見て、「ああ、とうとうそういう歳になったんだな」と実感しました。

 

さて、地元に戻ると、毎度変わらず街の住みやすさを実感もしています。コンビニは等間隔ごとにあり、食事をするところも個店・チェーン共に豊富で、日常の買い物は東西南北に中堅ショッピングモールがあります。駐車場がないところを探す方が難しく、車ユーザーに優しい街です。しかも、電車の駅も、複数の会社の本線が通っており、様々な用途に合わせて交通機関を使い分けることもでき、歩行・自転車ユーザーにとっても、移動に便利な街です。また、トヨタ自動車の本丸がある県ですので、系列企業も多く、仕事含む生活がほぼ地元で完結します。要するに、市外・あるいは県外に出る理由を探す方が大変なくらい住みやすいです。

 

こんな土地にいたこともあり、転居した先では(今まで3度ほど転居している。)地元の異常なまでの住みやすさを実感したものです。一方で、地元はどこか閉鎖的で内向的な市・県だったのだとも感じました。というのも、たまたま入った居酒屋で座った席と隣接した二つのテーブル席が、僕の同級生の集まりだったのです。話を聞くと、どうやらみんな地元で就職しており、地元で結婚しており・・と、地元から離れずに仲良くやっているそうです。

 

鹿児島へ行く先輩氏と、転居の多い僕には、少々狭すぎる世界の話でした。僕らは、地元への未練がなく、むしろ、「実家に帰ると空気が緩くて早く戻りたくなる」と話していたくらいです。

 

先輩氏と僕の話はさておきとして、お気づきの通り、「住みやすさ」は、それだけで若者を街に引き止める力があります。都市への人口集約の解決として地方創生が課題となっている昨今、僕の地元は「良い地方」の一例と言えます。しかし、理由が単に「住みやすさ」なのは、少々不気味に感じるここ数年です。先ほど申し上げたように、住みやすさの一つの側面の「閉鎖性」は、ときに、住人が気がつかないうちに、人を思考停止に追いやることもあると感じるからです。具体的には、工夫の機会を奪うのです。

 

これと同じ現象を、僕はグーグルなどプラットフォームに感じます。当たり前のように毎日無料で検索し、無料で動画を見て、無料でメールを使用でき、クラウドも使えて、いつの間にか、それが当たり前になっている。そして、気がついたら動画視聴に多大な時間を割いていることもある・・。だから、広告は動画に集まり、それでグーグルは大儲けしています。便利さのデメリットの一つかもと思いますが、疑問を感じることもなく、便利さから離れられなくなってしまうことがあると思います。グーグルに限らず、スマートフォン自体もそうです。

 

無料だから別に良いですし、その時間は楽しいと思いますが、逆に言えば、自分の時間を知らずにグーグルに使っているとも言えます。そうやって人に時間を使わせるものがいる一方、時間を使う側もおり、時間を使わせる側が圧倒的少数で、使う側が圧倒的多数なのが、現在です。

 

では、街は?僕は、「住みやすさ」「便利さ」は人の工夫の機会を奪っていると思います。住みやすさによって得られるものを、別のものに投資できるならいいと思いますが、できない場合、ただ住みやすさに浸かって、工夫や疑問とは遠ざかり、地元から知らないうちに離れられない、否、離れようという発想すらしないようになってしまいます。そして、自分の狭い視野にずっと同じものを目に入れ、人生を終えてゆく。

 

それは、良い悪いの問題ではないのでしょう。幸福に関しても、種類が違うだけで、優劣なく存在するとは思います。しかし、選択を知らないうちに失くしてしまうのは危険だとも思います。考える機会が減ると、自分で情報を得よう、という意識が出てこなくなると思います。すると、知らないところで勝手に色々決まっている。そうすると、なんでも他人事になってしまう。そして、社会の動きに対しても希薄になってしまい、より閉鎖的になってしまう。そういうことを、「情報リテラシーが低い」と言うのだと思います。「住みやすさ」は「考える機会」とトレードオフなのです。

 

「地域」の範囲で経済が完結するなら、閉鎖性は問題ないのですが、全国、世界と繋がっている今、リテラシーが低いと全国・世界の情報と地域の情報に格差が生まれ、知らないうちに、仕事含め、生活の事情も変わってしまうこともあるでしょう。ルールに追いついて行ける場所は時代に適応し、閉鎖的な地方は、新たなルール下では、お金の集まる場所がさらに東京に集約してゆき、最終的には地方はどんどん貧乏になる、と言うこともあり得ます。

 

僕の地元も、トヨタで豊かさが維持されていると思いますが、カーシェアになったら、車はそれでも今と同じだけ売れるでしょうか。別の業態が成立すると、既存の業態を壊し得ると言うのは、ECショップが実店舗を駆逐する様を見ればわかると思います。そういったルールが変わるときに行動できるのは、常にアンテナを張って情報を仕入れている人だと思いますが、「住みやすさ」はアンテナを小さくするとも思います。

 

今後、ルールが変わったとき、それでも地元は住みやすい街なのか。そんなことを、めでたい話と共に考える年始でした。

 

 

 

やてん

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