グーグルマップと形式知・暗黙知から考えるこれからの仕事の未来

写真は福島県会津若松市 飯盛山にて撮影

 

(ほぼ)東京に引っ越してきて、2ヶ月が経ちました。2ヶ月間仕事から離れてみっちり資格の勉強の進捗が良く、来年の試験の8月まで勉強し続ける必要もなくなってきていまして、そろそろ次の職に移ろうかなと思ったり。

 

こんなことを言うと、親が「だったらそのまま転職すればよかったのに」と言いそうですが、いや、違うんだなこれが。まとまった時間を仕事以外に割けて、しかもその時間でどっぷり新しい知識や経験を得ることに使えたことが重要なのだと思っています。これは、辞めて時間を作ってみなければわからなかったことです。また、辞めずに転職する人にとっては、わからない感覚でもあります。

 

ストリートビューと実際に歩いた人の景色の違いはほとんどない

こちらに引っ越すと頻繁に都内を出歩くかな、と思いきや、外出はあまりしませんでした。勉強とこのブログの更新を日課にしている自分にとっては、午前中〜午後いっぱいはそれに時間を当てるので、出かけても午後からです。あるいは、農水省へ行ったり、土壌医の集まりに参加したり、オイシックスに話を聞きに行ったりしたときに、ついでに街を出歩くことはしましたが、それにしても思ったより出歩いていません。

 

そのせいか、新宿駅周辺の土地勘を掴むのに、2ヶ月少々かかりました。最近は慣れたもので、行きたいところに合わせて出口や、その日の目的にあったルートを組み立てることができるようになりました。また、各路線がどの駅に停まるのかもわかってきて、随分慣れてきたな、と感じます。

 

一方で、この知識は、どこまでグーグルマップで手に入るのだろう?と疑問に思いました。新宿駅周辺の土地勘も、ルートも、路線も、大体はグーグルマップのストリートビューと路線図で把握できてしまいます(結構面倒ではありますが)。実際にその土地へ行ったことがない人もマップ上でその街を歩ける今、逆にグーグルマップでできないことって何なのだろう?と思いました。

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新宿駅南口前の道路。景色がくっきり見られる。これを元に道を知れば、事前にほとんどの街の道を知れる。

 

刹那の体験、建物の中での経験

今の所グーグルマップで把握できないのは、この二つでしょう。刹那の体験とは、街の匂いとか行きゆく人たちが醸し出す雰囲気とか、いわゆる「街の空気感」のようなものです。これは、実際に歩いてみないとわかりません。

 

ちなもに、この質問をルームメイトにしたとき、「美人な女の人とすれ違ったときの気持ちの揺らぎ」との返答があり、秀逸だと感じましたが、これもその刹那にしか感じられないことです。グーグルマップでは顔が映りませんし、ストリートビューでは、その人の肌感とか服の艶とかもわかりませんからね。なるほど・・深い。

 

また、建物の中での経験は、グーグルマップでは体感できません。マップ上では、建物の入り口までしか入ることはできませんから。そのお店の内観とか、サービススケープとでも言いましょうか。まぁ・・あるいは、夜の街とかに関しては、実際に人と会ったり、視覚だけでなく、触覚も重要ですからね・・(失敬。)。

 

こうやって考えてみると、まだまだ実際に出向くことの方が情報量は多いですが、地図が発展する前と現在では、地図と実際に街を歩く経験の差は埋まりつつあるのだとも感じます。つまり、新宿に慣れても、新宿に慣れていない人と新宿に関してはあまり情報量が変わらないのかもしれないと思いました。

 

情報量の差 = 暗黙知 ー 形式知

ただの地図だったころに比べて、ストリートビューは、立ち視点での景色の提供を可能にし、道をより具体的に案内してくれるようになりました。そうすると、そのビューを見たどの人にとってもそのビューは同じ景色です。こう言う、「誰にでも同じに映る景色(情報)」を形式知といいます。グーグルマップは形式知です。

 

逆に、店内の雰囲気、五感を使った体験など、その経験をしてみなければ得られない情報は「暗黙知」と呼ばれます。上の話を合わせると、情報量の差 = 暗黙知 ー 形式知と表現できそうです。グーグルマップに関して言えば、形式知の部分が大きくなってゆくにつれて、情報量の差が小さくなっていると言うことです。

 

VRなど、映像を脳で体感できるようになってくると(たとえば、誰かと視覚を共有できるメガネとか)、さらに形式知が大きくなって行きそうです。これは、現在進行形で動画によって起こっている流れと言えます。

 

情報量の差を認識するのは重要

今回考えた事は、「情報量の差を認識する」事の重要性です。地図と実際に出向くことによる情報量の差は埋まりつつありますが、それでもまだまだ暗黙知が形式知に比べ大きいところはたくさんあると思います。

 

なぜ情報量の差が重要かと言うと、情報量の差がビジネスにおいて利益の源泉であり、僕らが他の人と違うこと(個性)を証明してくれるものだと思うからです。たとえば、自動車の修理を自分でできる人は限られます。本で学ぶ以上に、部品の抜き取り方、戻し方、要領の良い分解の仕方、など、やってみなければわからない「暗黙知」があるからこそ、それを人が頼ります。情報量の差を産むには時間が必要で、全てをできるようになるのは、時間が足りません。だから、人は分業をします。

 

言い換えると、自分の暗黙知をたくさん作ることで、しっかり稼げるようにもなれるとも思います。今は「形式知」の情報の質が良くなって、情報量の差がどんどん減ってきている事が多いです。だからこそ、「情報量の差」に敏感になって、「形式知」よりも「暗黙知」を増やしてゆくことを意識する必要があるのだと感じます。

 

「暗黙知」を増やす方法

ただひたすらに、頭に入れるのではなく、体で覚る事だと思います。僕は最近ダンスをやっているのですが(室内で体を動かせるので、気に入っている)、初めはスローでも手本に合わせてもできないのが、だんだん自然に動けるようになってゆくことに気がつきます。

 

初めは、「こうやって、こう?」と頭で考えながら体を動かしていましたが、それが何も考えずに踊れるようになり、すると、ようやくキレの段階へいけるのだと気がつきました。スポーツも同じだと感じました。当たり前だったはずなのに、忘れがちなのですが、「暗黙知」を増やすたった一つの方法を挙げるなら、それは「実践」あるいは「訓練」だと思います。

 

昨今「効率性」「生産性」と言う言葉が跋扈しており、ただ時間制限を設けようなどと言っていますが、暗黙知を作り、情報量の差を作り出し、それを利益に変えられてこその生産性です。そのためには、形式知化のスピードに負けずに暗黙知を増やしてゆくか、なかなか形式知から暗黙知になりづらい部分を磨いてゆくかどちらかの努力が必要だと感じます。

 

僕らが、部活動で自分の体を無駄な力を入れずに操ったり、思ったような絵をかけるようになるまでのことを、他のことでもこれからも続けること。知識を使って「実践」「訓練」することは、これからも重要さは変わらなさそうだなぁと感じましたし、未来でもこの考え方は変わらなさそうだなと感じました。

やてん

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