「自動運転を機に、僕らもアップデートしよう」 都内をドライブしてみて感じたこと

本日、昼から目的もなく都内にドライブに行きました。六本木から新橋、そして銀座…。気が向いて、千葉まで走らせ、帰りは初のレインボーブリッジへ。シンボルでもない高層ビルは好まないのですが、夜のレインボーブリッジから見る夜景は絶景でした。散りばめられた灯りが星のようで、さながら宇宙旅行です。

 

帰り道は自宅付近まで高速に乗って帰ってきましたので楽でしたが、行きは初の都内の運転とあって、緊張しました。交通量は多く、車線変更のポジション争いは激しく(譲ってはくれる)、標識のチェックは油断ならないし、道は複雑。気分転換のはずが結構忙しい時間を過ごした気がします。僕の地元は交通事故数ワースト1のはずですが、東京の方が絶対事故多いだろ、と思いました。

 

どの難しさも十分に僕を脅かしてきましたが、特に面倒なのが、道の複雑さです。複雑さというのは、車線の多さではなく、細い道の多さを意味します。中には一方通行の表示があるべきところを、対向車と路側線ギリギリまで避け合ってすれ違ったり、停車した車が車線を遮る場合は停車した車の後ろにに避けて譲り合ったり、信号がないところでは、運転手だけでなく歩行者との譲り合いをしたり(結構譲ってはくれる)…。

 

というように、こと複雑な都内の道で交通をスムーズに行うためには人同士のアイコンタクトが重要なのだと実感した一日で、それはそれで面白かったのですが、これを機械にやらせることを思うと、果たしてできるのか?と疑問に抱きもします。テスラの車も見かけましたが、あのテクノロジーを使える日は、いつくるのだろうか、と思うと、遠くに感じました。

 

今のままでは、都内での自動運転は不可能

この前福島で友人の車に乗せてもらったのですが、路側線を跨ぐと警告してくる現状(本人も「わかったわかった」と車を落ち着かせていた笑)、どうやって狭い道を自動運転できようか。

 

細い道の交通の問題は、対向車と自分のうち、①どちらか1台が自動運転車の場合 と、②2台とも自動運転車の場合 で対処方法が変わってきそうです。

 

まず①に関して考えます。学習パターンが増えてこれば、「この車幅で車2台が通るには路側線を跨ぐしかない」と車が認識してくれる可能性はあります。この場合、自動運転車が自分か相手のどちらか1台だけでもあれば、片方は手動で線の外側へ寄せてくれるし、自動運転側も寄せてくれるので回避できそうです。つまり、路側線を跨ぐくらいの交通違反はシステムも許してくれ、狭い道の交通は解決できそうです。

 

しかし、譲り合いに関しては、2台とも自動運転車でなければ難しいと感じます。なぜなら、譲り合いは、片方だけでも手動の場合、その相手の表情や手の動きを察知する必要があるし、人によっても合図の意味するところが違うからです。

 

この場合、互いに自動運転車ならば、信号を送りあってランダムに優先順位を決め、片側しかない車線を譲り合えるかもしれませんが、片方が強気のオッチャンや、謎の自信家の事故常連高齢者の場合、彼らの放ってくる謎の圧を、果たして車がどのように察してくれるのだろうか?と、疑問が浮かびます。これ、本日のヒヤッとした実話ですが、結構怖かったです笑

 

つまり、自動運転を今の道路で実施する場合、譲り合いは②のように、2台とも自動運転にすることでしか解決できないのです。こうも言い換えられます。自動運転を現状の道路で実施するならば、全国の車に自動運転のシステムを導入する必要があると。

 

道路を変えることと、車を変えることと、どちらが良いか。

これが僕の今日のテーマですが、僕は前者の「道路を変える」ことを解決策として提案したいです。この道路の複雑さは、無理に都心に会社や人やお金が集約し、なおかつ、さまざまな利害関係者(土地の所有者・住民)の利害のバランスを政府や建設業者が伺わなければならないような風土が元凶だと思いました。以前旅行で行ったケアンズは路上駐車をしようが余裕の道幅がありましたので、ケアンズでなら自動運転できるだろうなーと思ったものです。

 

話を戻すと、今後人口が減っていくことも考えると、人口・建造物の必要性は低減してゆき、スペースも今ほどは必要なくなるでしょう。さらに、道路が整備されて自動運転が可能になれば、距離の概念は曖昧になり、都内・近郊に住むことの意義も低くなります。そのためには、まずは自動運転という移動のインフラ整備のために、道路の整備のための犠牲(個人・個法人のわがままを諦めるという意味)を皆が受け入れる必要があると思います。

 

地域など公共の利便性のために、自己の利益を少し我慢してみる。そのマインドが育てば、自動運転のような新たな技術への理解度も高まり、国の成長も早まる可能性があります。自動運転は、僕らに旧態依然な「思いやり過剰」を変革する機会をくれているのかもしれないと、オッチャンに恐れ戦いた後、レインボーブリッジを宇宙旅行しながら考えていました。

やてん

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