自分らしさ・個性とは? 対談 withふぉちょくん 

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ともすれば、僕たちは自分の考え方、意見を「個性」と捉えているが、インターネットが発達し、自分と似たような思想の人は世界に沢山いるということを日々感じてもいる。そんな中、じゃあ「自分らしさ」って、一体なんなのか?という疑問について、友人のふぉちょくんと話してみました。

他にも、対談記事はあるので、そちらもチェックしてみてください!

「好きなことを仕事にする」ために必要なことを考えてみた。with ふぉちょ

簡単に、対談者のふぉちょくんの紹介します
ふぉちょ 職業:ミーム論者世の中の情報にまつわる現象を、リチャードドーキンスが提唱したミーム論でハックする。ミームとは何か?興味がある方は、彼のブログ、ミミズのミームで。
ブログ:ミミズのミーム
Twitter:@kotobukitoshi

では本論に入ります。
ふぉちょ現代における、オリジナリティ(自分らしさ)とは?ということについて、実は記事を着手していまして。

やてんそうなんだ。じゃあまたチェックしないと。

ふぉちょ上げたら連絡するよ。

やてん待ってます。それで、オリジナリティってなんなんだろう。

ふぉちょ「オリジナリティ=自分らしさ」って言い換えられる訳だけど、SNSのおかげで自己表現の機会が増えたなんていわれるよね。自分の思ってることや知識、身の回りの情報を簡単に発信できるようになってる。そういった情報を自分を軸として包括して、「自分らしさ」としてみんなが表現しているように思う。

やてんつまり、「自分」とは、情報のポートフォリオであると。

ふぉちょポートフォリオとは?

やてん以前、お金の使い方について話したことあったでしょ?自分の複数の趣味のそれぞれに、どれだけお金を振り分けられるかっていう金額の組み合わせってことかな。本当はリスク分散の意味が大きいけど。今回の場合は、お金が情報に置き換わってた、その組み合わせってこと。
ふぉちょそうだね。情報の組み合わせか。

やてんそう。けど、情報の組み合わせって無限にあるように見えて、傾向づけられちゃいそうだよね。

ふぉちょそこね。重要だと思うのは、こういった、「自分らしさを構成してる情報のパターン」は複製可能ということ。しかも、ネットではそれがものすごいスピードで行われている。

やてんそうだね。

ふぉちょ例えば、Twitterで、「自分はこう思う」って確固たる意志をもって発言した言葉が、たくさんの人にリツイートされるとする。そうすると、その言葉ってその人が発信したはずの固有性ってものを失って、リツイートした人というか、共感を示した人々の個性にも吸収されうるんだよね。「自分の言葉」っていうものが簡単に「誰かの言葉」に置き換わってしまう。で、これは逆も言える。

やてん逆?

ふぉちょリツイートばっかしてる人見ない?

やてんいるね。リツイート(他人の意見)があたかも自分の意見として捉えられちゃうってこと?
ふぉちょ自分の共感、嗜好を表現すること全部リツイートで出来ちゃったりするわけ
やてんけど、それって自分らしさなの?ってなるね



ふぉちょそう、つまり僕らの言葉は簡単に誰かの言葉になりうる。逆に、人の言葉も、僕らの言葉になりうる。極端にいうと、喜びや感動を共有するという行為すら僕らの固有性をどんどん不明確なものにしてるのかもしれないね。写真や動画で誰かの体験に触れること。どこか遠い場所の情報も、自分を構成する情報として取り入れることができる。しかも、それを行う人が同時に複数存在してる。

 

やてんそれは、現実世界で認識できる形だからじゃないだろうか。ニュアンスというか、「これについてはこんな風にイメージしてるんだけど、どんな言葉で表現できるんだろう?」、ってことを完璧には言葉にできないでしょう?そのニュアンスが現実の世界で表現できないから、自分らしさって無いように見えるのかなと思った。

 

ふぉちょそうだよね、だから言葉っていう形に変換されるときには情報の欠損はあるよね。要は、会話をするときは、共有用に変換された情報を取り入れてる。けど、それで自分らしさがないようにみえるってのはどういうこと?もう少し詳しく教えてほしい。



やてん例えば、自分が、本を読んで感じたこととかが、なんか映像というか、イメージのようなもので保存される。これは、僕の固有な世界観だと思うんだ。けど、それを伝わる形にしようと思ったら、言葉に変換されるときにいろんな情報が削ぎ落とされるでしょ?

ふぉちょ伝わる情報量に落差があると。

やてんそう。書評において、削ぎ落とされた後の文章は、固有の表現の多くを既に失っちゃってるのかななんて思った。つまり、ツイッターとかの情報は、誰のものにもなりうると。

ふぉちょそれはあるよね。そして、それを取り入れた人たちが自分の個性にしてしまう。
だから、自分を構成する情報のうち、自分の実体験に占める比率が低くなる。みんながみんな、個々で経験を得ていれば、ある程度情報の固有性というか経験による情報の差ってものはあると思うのよ。

だけど、今の時代あまりに長時間ネットにつながりすぎている。しかもインターネット上で情報を手に入れるまでのスピードが速いから、個性になりそうっぽい情報の比率が、実体験における情報よりも多くなるんじゃないかと思ってる。体験から言語化したりするのって、結構深く理解しないといけないじゃん?

やてんそうだね。一回咀嚼する必要がある

ふぉちょさっきの、やてんくんの考えてる感性・世界観ってものを複製しうる形式に持っていくまでには時間がかかるはず。少なくともネットから得るよりは。
やてんそうだね。

ふぉちょってなると自分らしさに占める「既に複製された情報」って結構多いんかなって思うんだよね
やてん結構数値出したらすごそうだね。

ふぉちょうん、で、なんでみんな似通っているのかっていうのはまた別な理由もあると思うの。SNSなんかに投稿する情報って、より拡散力のあるミーム(≒情報)を増幅させる傾向に作られているように思う。

どういうことかというとさっき書いたTwitterのリツートもそうなんだけど、より共感を得られるミームが多くの人に伝染しやすい地位を獲得できるシステム構造になってる。広告で収益を出したりしてるブログやyoutube含めても同じように。


やてん分布の偏り方が指数関数的であると

ふぉちょそう。より偏る方に偏ってくものを取り入れやすように情報が提供されるので、みんなそれに乗っかっている人はどんどん提供される複製物で自分を作ってる。それが、「自分らしさ」がないように見える要因なのかなと思ってる。こういうことに盲目的な人たちにとって、インターネットって開かれた世界じゃないねよね……ほんの一部を全部と捉えてしまっている。
やてん確かに。そもそも自分が浴びる情報が、狭い世界の偏ったものになれば、個性は出にくい。けど、インターネット上で得た情報では個人間が似通い過ぎて、「その人らしさ」を定義できないとすると、結局、現実世界における自分らしさって、肉体ってことになるけど笑

ふぉちょ うむ。結局のところはネットに限らず、最初にやてんくんがいってた、情報の組み合わせ、ポートフォリオなんだろうなとは思うんだけど。そういう意味では肉体のもつDNAっていうのは強固だよね。変動しにくいし、被ることはまずない。

 

やてん そうだね。拡散はするのかな?後天的な環境で人が変わるのって、あれ、DNAではないのか?脳?


ふぉちょ もちろんDNAはコードされる領域やタイミングも制御されてる。しかもDNAの配列のどこを読むかっていうパターンも、その人の経験によって差があるしね。そういう意味では、さらに固有性を増してる気がする。だからDNAですら固定化された個性ではないけど、他人への拡散はまずないよね。まあウイルスなんかはそれもできちゃうけどさ。外部から挿入されたDNAを個性だ!って認識レベルまで持っていけるのか?(笑)

 

やてん けど、それは寂しいな。DNAって、自分が「自分」を認識する前から既に自分が持ってるものだし

 

ふぉちょ そこなんだよね。まるで個性を自分で決められないみたいだ。結局僕らは肉体的なもの、あるいはそこに格納されたDNAという固有性というものに頼ってるけど、僕らが言いたい「自分らしさ」って、自由に選びたいんだよね。
だからみんな複製されて得た個性であっても、「これは僕の意見だ!」とか、「パクリツイートはやめろ!」とか言っちゃうわけで……

やてん そうそう。だから、感性とか、表現につまるようなものってのは、個性かなぁと思ったんだよね。それを僕は、あたまのなかのユニバースと表現してるんだけど


ふぉちょ 言語化できてないところってこと?もしくは認知できていないところ?

やてん そう。暗黙知の部分

 

ふぉちょ それはすごく興味深い。今日一番。なるほど、ある意味共有化する形式に変換してない、あるいは出来てない部分は固有性をはらんでいると。あれ?けど、それが個性になるってことは、他の人が最終的には「その人らしさ」として感じられる形で表に現れるわけだよね?それはなんでだろう。

 

やてん えーと、例えば、哲学書の話が前あったけど覚えてる?

 

ふぉちょ ごめん忘れてる。

 

やてん 哲学書で、筆者が、理解が難しい言葉を使ってるのは、わざとなのではなく、その人の内面をその人の世界観に合った言葉で表現してるからって話があったと思うんだけど

 

ふぉちょ 「語りたい二人」の感性の世界の話ね。

 

やてん あれは、個性の一種だと思う。あれ、僕らは哲学書の真似できなくない?自分の言葉を使ってってなったら、もはや真似じゃないし。それは僕らの個性になるかなと。

ふぉちょ その筆者の個性というか本質?に迫ろうとしてるんだけど、どこまで行っても日常生活に落とし込むほどまでには完璧には真似られない。けど、そういう意味ではみんな同じこと言ってても、突き詰めてくと完全に同一じゃないから個性もってるってことになるよね。むしろ、哲学者と同じ言葉を吐いた場合には逆に個人の感性の部分が表現されないきがするんだけど

やてん そう。だから、自分というフィルターに情報を通さずにそれを発信することが、僕ら的に言う、個性がないということではないかと。

ふぉちょ むむ?よくわからない。

 

やてん そう、まさに今のこれなんだけど、僕、このイメージを言語化できてない笑 例えば肉体を表層と芯にわけるとする。たいていの情報は、表層に触れて、芯に入らずに出て行く。これが、リツイートなどの拡散。情報を、そのままの状態で保持して、それを使うことね。

表層から芯に入るときにフィルターがあって、そのフィルターを越えると自分の価値観の風景が広がってて、そこに情報が新たな風景として混ざる。自分の今までの総合した情報との間で擦り合わせとか、新たな知見とか、そんなのが沸き起こって、別の価値観に変化したりする。
そうすると、情報が、自分の言葉で表現できるようになる。さっきの哲学書みたく。

 

ふぉちょ それは自分の言葉に換言するかどうかってこと?今の意見はどうなんだろ。さっきやてんくんは、自分を複製された情報で占める割合が多い人に対して、個性がないと感じる、という意味で言ってたけど、そういう人たちも一旦はフィルターには通してると思うんだよね。今やてんくんがいってるフィルターっていうものは、フォーマット化された情報を、一旦取り込んで自分の他の構成情報と合わせて再出力するってこと?

でそのフィルターの中には言語化してない部分も含まってるから、再出力したときは表現として現れるということかな?で、少なからずその無意識状態で格納されてる情報の固有性が強い人の表現は自分らしさがあるように見える。と解釈したのだけどどうかな。

 

やてん そういうこと。そもそも複製された情報ってのは、君の言葉で言うと、他の構成情報と合わせて再出力はできていないと思う。逆に、それができている人の言葉からは、会話からでも個性を感じられる。そこは哲学者も同じだったんじゃないかな。

 

ふぉちょ そこは腑に落ちる。「腑に落ちるって」って表現、今の話を体現してるね。(笑)
無意識的なところに働き掛けてる。

 

やてん確かに。

 

ふぉちょ ん?でも、いまのをふまえてさ思ったんだけど。無意識の領域、感性の世界、言語化できてない情報、あたまのなかのユニバース。いろんな言葉でいってるけど、この感性の部分が格納されてるのってさ、肉体なんだよね。笑

 

やてん ・・・そうだわ~

 

ふぉちょ セルメモリーとかもいうじゃん。人間は脳だけに情報を格納してるわけじゃなくて、細胞でも無意識化の情報を大量に保有してるっていう話。ということは、僕らの個性っていうのはやはり肉体からは切り離せないのではないかと思っちゃうのが面白いなと。

 

やてん いや・・それ本当だなぁ。面白い。じゃあ、肉体の中のDNAにせよ、自分の感性にせよ、やっぱり僕らが自分を定義する材料は肉体にあるってことなのかなぁ。

 

後日談(今回の内容からさらに発展した内容)


ふぉちょ となると電脳化なんてした場合、人間を再現するにはある程度グレーゾーン用意してやらないといけないのかな。

やてん グレーゾーン?

ふぉちょ 無意識下にならない状態になってる思考パターンを人間らしさとよべるのかっていうこと。無意識領域が僕らの人間らしさなのかなっていう話じゃん?機械的にそれを再現したらいつでも鮮明に情報を認知して取り出せるようなのは、人間っぽさとは違うのかもしれないって。やっぱり人間はまだまだ肉体的要素によって定義されるんじゃないかな。伝わってる?

やてん 電脳世界っていうのは、言語化できない情報を情報として抽出できないから、その世界では個人を個人足らしめられないってことかな?

ふぉちょ あーすごいな、そっちにいったか。それも言える!それだけじゃなくて、構造的に全部の情報を手に取るように認知できる形で提供できるシステムとして電脳をモデリングしたら、無意識な領域ってある?自分のこと、自分を構成してるもの全部のことわかっちゃう状態。それは人間らしさと言えるのかなぁって疑問に思って。やっぱり自分のことが分からないっていう、ユニバースがあるのが人間らしさだとするなら、そこを意図的に用意してやらないと(グレーゾーンとして)人間は再現できないのかなという空想だよね
SF
が書けそうw

 

やてん 学者の言う「強いAI」ってやつだね。人間の苦手なところまで似せるAI

ふぉちょ 変な話だよね。人間のためにわざわざめんどくさい不完全な部分を作ってやる

 

やてん そうだね。けど、能力はトレードオフなのかもしれない。人間の脳みたいに、ニューロンを使う複雑で網目のような低速な回路を成り立たせるためには、機械のような早い計算力は捨てなきゃいけないと僕は考えてるんだけど。その代わり、人間には複雑なつながりからクリエイティブな発想を生み出せるわけで。

 

ふぉちょ そこなんだよね。それはロボットの進化って言えるんかなー。ミーム的な視点で考えると、生物としてのミームというか、人間としてのミームを機械にあてはめようとしてる。機械が進化してるんじゃなくて人間が機械っていう無機的な領域に進化しようとしてるようにも思える

やてん それは、進化というのか?っていう別の話になりそうだけども。ダーウィンが言う進化とは違いそうだね。

ふぉちょ まあね(笑)それはまた別の話にしましょうか

 

やてん そうだね。

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