生き残る商店街の共通点と商店街再生ために必要なもの

横須賀にスケボーをしに行ってきました!

最近記事を書くのが滞り気味ですが、ちょっと資格の勉強に力を入れていたので、今月はスローペースでの記事の作成にしているところであります。また、たまに振り返って自分の記事を読んでみると、結構読みにくいものもありますので、記事の手直しも進めてゆこうと思っています。

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さて、そんな資格の勉強もひと段落ついたので、ずっと行ってみたかった横須賀のうみかぜ公園のスケボーパークに行ってきました。だいたい下道で片道2時間ほどかかりましたが、昼過ぎについて思いっきり5時間ほど練習しました。移動と食事含めてだいたい9時間くらい家を開けていました。多分、旅行以外でこんなに時間をかけたのは初めてだと思います。

 

さて、こんな話をしておいて何ですが、今回の記事はこのスケボーパークのことや、僕がやっているサーフスケートとは関係ありません。

 

商店街の多くに元気がない原因

今回の記事は、サーフスケートとかスケボーパークの話ではなく、商店街についてです。横須賀の海沿いに行く最中に商店街を車で通過したのですが、シャッターが降りているところが多く、元気のなさが伺えました。

 

僕の地元にも商店街はありますし、中小企業診断士の事例の中でも、商店街の復旧に関してのものがあります。それくらい、商店街のシャッター街化は世の中で問題視されているのだろうと感じます。

 

商店街の衰退の原因は大型のショッピングモールであることはほとんどの人が何となく頭でわかっていると思いますし、商店街の再生のポイントも、ショッピングモールとの差別化に向くことが多いです。実際、診断士の事例での模範解答差別化が手段として考えられます。

 

一方、まだまだ元気な商店街もあります。最近行ったところでは、大阪から遊びに来てくれた友人と一緒に回った浅草、麻布などです。また、個人的に、鎌倉は衰退を知らず発展し続けている商店街(小町通り)の一つだと思いますし、会津若松も古き良き素晴らしい街並みです。

 

今回は、そんな生き残る商店街と、シャッター街になる商店街の違いを明確にし、今後の商店街の再生に向けて何を考えてゆくべきかについて考えます。

 

生き残れない商店街の共通点

生き残る商店街の共通点は、「商店街に行くことが目的になり得ること(商店街の目的化)」です。本来の商店街を想像すると、魚屋があって、八百屋があって、本屋があって、喫茶店があって、食器やがあって、洋服屋があって、時計屋があって・・という、様々な小型店舗がたくさん連なっている状態だと思います。

 

そして、ショッピングモール出現以前の商店街を利用していた人にとって、商店街は「買い物のための場所」だったことも総意が取れると思います。ここで商店街の明暗が分かれると思います。今シャッター街になる商店街は、「魚を買う」「野菜を買う」「本を買う」という目的があって訪れていたところなのだというところです。つまり、人々が商店街に行く際に明確な目的があったということです。商店街の「機能」重視だったとも言い換えられます。

 

訪れることに明確な目的が必要だった商店街は、当然ながら、より効率的にそれらの目的を叶えられるショッピングモールに代替されてしまいます。効率というのは、時間という面でも、価格という面でもショッピングモールは優ってしまいがちですし、商店街の顧客は、一気に吸収されてしまったことでしょう。

 

生き残る商店街は、「商店街に行くこと」が目的。生き残らない商店街は「商店街に行って買うもの」が目的だったということです。



 

商店街とショッピングモールの差別化をどう考えるか

さて、上で述べた二つの商店街の違いを元に、「商店街の再生」に関して考えてみたいと思います。まず、潰れる商店街と、競争相手のショッピングモールを考えると、こんな感じに表せそうです。重なる(つまり、効率が変わらない)ようなところもあるかもしれませんが、概ねショッピングモールにこの面ではひっくり返されてしまっているでしょう。

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では、生き残り、今も栄える商店街はどうなっているのか。それは、こんな感じに表せると思います。実は、効率で考える、平面の「機能の次元」とは別次元の「感情の次元」があって、そこを満たしたい人が商店街に訪れるのです。価格、時間の面の効率は明らかに既存の商店街と同じく、ショッピングモールと比べて悪いですが、別の次元なので、そもそも競争ですらないと言えます。

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次元が違うと戦いにすらならないのは、ジャンプ系のバトル漫画でもおなじみだと思います。藍染と斬月と一体になった一護の戦いみたいなものでしょう(ブリーチより。)。

 

「感情の次元」を満たすことが栄える商店街の特徴ならば、シャッター街になりつつある商店街にはこの次元の強化が必要ということです。では、どうやったら強化が可能なのでしょうか。さらに考えてみます。

 

昔ながらは「古い」の極値でなければ認識されない

まず言わせてほしいのが、感情を満たすための「昔ながら」は「昭和感」ではダメというところです。岐阜〜長野の「妻籠、馬籠」や、福島の「会津若松」、岐阜の「高山」、そして古都「京都」。これらの持つ「昔ながら」は、昭和の時代を通り越して、大正、明治、江戸時代のものに対して言います。古びたコンクリートやタイル、トタンではダメで、「古すぎてむしろ品がある」と思われるくらいの極端な古さが必要と言う事です。

 

つまり、コンクリートなどを使った「昭和に発展しました」感のある商店街は歴史が浅く、「感情の次元」を満たすためには改装・表面の塗り直しなどをするしかないと言う事です。中途半端な古さは感情を満たしてくれないのです。

 

鎌倉の小町通りがヒント

では、際立った古い街並みがない商店街は感情の次元をどう満たしてゆくのかと言えば、鎌倉に感じる「新たな出店」と「現代風のデザイン」が鍵だと感じます。鎌倉に行かれる方ならお分かりと思いますが、鎌倉はここ数年で大きく店並が変わっています。少なくとも、僕が初めて訪問した5年前から今までも、かなり風景が変わっています。

 

その中でも「いい変わり方をしたな」と感じているのは色使いとフォントです。現在の鎌倉のフォントは、メイリオのような細めのものを使うか、高級料亭で使われる行書〜草書体が使われます。色使いもネイビーのような洗練をイメージさせるハイトーンな色と、木など自然の色を使ったシックなデザインが多いです。これらは、現代でいう「キレイメ」を体現した店だと感じます。

 

そういう「イカした街」は人に歩いている楽しさを与えてくれると思います。

 

歴史的建造物があるから発展しているのではないか?

色々考えてきましたが、これに対し、「有名な寺とか神社とか城のような観光地があるから今も栄えているのでは?」と思われる方もいると思いますが、確かにその通りだと思います。観光に訪れている人が多いだけじゃないの?という考え。

 

ただ、僕は、そもそもあの観光地チックな盛り上がりを目指す商店街を「再生」の定義には据えていません。僕が求めるのは、「地元の人が休日に遊びに来たくなる商店街」「地元に来てくれた友人を連れてきたくなるする商店街」です。目標は「時間を潰したくなる場所」であって、「観光地化」ではないのです。成功している商店街の共通点として「感情の次元」を考えたのです。

 

歴史的建造物も、確かに「案内したく」はなるとは思いますが「休日に時間つぶしに」は行かないでしょう。歴史的建造物は、あれば嬉しいですが必要条件ではないと考えます。

 

商店街再生に必要なものは何か

では、商店街の再生には何が必要でしょうか。僕は「愛情」と「熱意」だと思います。結局「お金」が必要なところが悲しいとも思いますが、そもそもの「お金」を動かすものは、住民の街への愛情だったり、商店街を元気にしたいという熱意だとも思います。

 

さらに付け加えるなら、抜本的に変えるのであれば、ケチってはいけません。そこが「センス」だと思います。デザインへの徹底的なこだわりと、研究。その実行、そして、いいものを作るにはケチらず時間やお金を投資することも必要でしょう。それもこれも合わせて、結局必要なのは、弛まぬ努力を支える「愛情」と「熱意」だと感じました。

 

商店街はなくなってもいい?

最後に、商店街の今後に関して考えたいと思います。僕は、商店街を必ずしも再生させる必要があるとは思っていません。中途半端に街のスペースを使ってしがみついて、どんよりした空間を作っている商店街があるなら、なくなって、別のものに土地を譲って欲しいとすら思っています。

 

最近ブラタモリで放送されていた神奈川の武蔵小杉は、今でこそ高層マンションやショッピングモールが連なる都市となりましたが、少し前にはその土地は工場地帯で、さらにその前は田んぼだったと言います。その役目を、時代に合わせて譲った結果、人が集まる街になった、いい例だと感じました。

 

こういう風に、廃れた商店街のスペースが新たな役割に変わるのなら、それほど良いことはありません。商店街を変えたいという「愛情」「熱意」がなく、ただ弱っちい土地でいるのなら、商店街である必要などないのです。こういうところから人が避けてゆき、治安も悪くなるし、街も食い物になります。地元の人々にも、ぜひ、商店街の進退に関して考えて欲しいと思います。日本三大七夕が開催されるからって、あぐらをかかずに真摯に考えて欲しいところです。

 

まとめ

今回は、生き残る商店街とシャッター街になる商店街の違いを明確にしました。商店街が生き残る、再生するには「感情の次元」の効率をあげることが重要で、そのためにはお金がh必要です。そして、変革を遂げる程のお金をたくさん手に入れるには、地元への「愛情」や、変えたいという「熱意」が必要だと考えました。

 

一方、商店街自体が生き残りたいと思っていないならば、その土地を退くことも考えなければならないとも思います。ただ残っているのでは、人にも街にも迷惑だとも考えますので、早々にその土地を他に譲る選択も必要だと考えます。

 

こんなことをスケボーしに行く途中でメモるなんて、ずいぶん集中していないなとも感じましたが、いずれ自分が携わりたい「地域再生」の自分なりの指針が一つ決まったなと思うと、この注意散漫な感じも嫌いではありません。僕の場合、結局、移動が記事の着想をくれます。これからも、移動の中で記事ネタをたくさん捉えて行こうと思います。

 

制作:ゆるリサーチ

提供:あたまのなかのユニバース

 




やてん

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